北上川沿いにあり、市本庁から12キロほども離れたところに位置する旧河北町にあたる管内には、児童の7割と多くの教師を亡くした大川小学校などの甚大な被害があったエリアが含まれる。

 想定では、孤立した場合、支所長が判断してよいことになっているが、それまで訓練では、本部とのテレビ電話などを通じた形で行っていた。

津波に襲われ、市民と職員の54人が犠牲になった石巻市北上総合支所。避難所にも指定されていた(2011年4月9日、石巻市北上町十三浜)
Photo by Yoriko Kato

 市本庁の防災対策課で対応にあたってきた木村伸課長は、

「実際に完全孤立して、自分たちで判断することになり、相当厳しかったと思う。災害時は、防災担当の部署だけではなく、市役所すべてで横断的に対応にあたることになる。役所は部署を超えて対応するのが弱いですから」

 と認める。

 防災対策課では、大震災前から、「災害時は、その人数では足りなくなる」と訴えていた。市は、人員をもっと減らす予定だった。

 人員削減により事務的にも作業的にも影響が出そうな分を、外部契約などで補完する予定にしていた。しかし、対応を検討しているタイミングで被災してしまった。

 情報把握もなかなかできず、その後は、259ヵ所の避難所に水や毛布を届けたくてもできなかった。本部では、<できないジレンマ>に陥っていた。

「物資の配給は、支所が、市を通り越して直接要請できない。県からのものが住民に届くまで、1週間近くかかる。タイムラグがあると、必要な物は刻々と変わってくる。結局、タイムロスが住民を疲弊させた。市の職員も被災した上に、物流という慣れない作業が続いて疲弊した」(木村課長)

震災から1年経っても、手つかずの集落。喪服に身を包んだ遺族が、ぬかるんだ道を歩いていった(2012年3月、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

 今後、市では東日本大震災で得た教訓を、研修を経て市の防災協定に盛り込んでいく予定だ。

「想定外のことばかりで、事前の取り決めが役に立たないことも多かったが、防災計画に載せ、法律や条令に基づく形にすることが大切だと思っています。財政的な裏付けが生まれ、防災とは違う課の職員が、日頃から業務の延長に災害時のこと考えるように自覚するようになる。市全体でやる、というのを表すのが市の防災計画ですから」

 そして木村課長は、「あくまでも個人的なイメージ」と前置きしながら、こんな構想を語った。