創業者、江副浩正氏の横顔

朝倉:当時だと、創業者の江副浩正さんもまだ現役だったと思うのですが、福田さんの目から見て、江副さんはどんな方だったんですか?

福田:僕が入った時は、すでにリクルートはある程度成功していましたし、江副さんも38歳くらいだったので、社長と新入社員という一定の距離感はありました。僕たちの世代の江副さん像は、僕たちより4~5歳上の1970年頃に入社した世代の感じ方とは少し違うと思います。その世代の人たちは江副さんと10歳くらいしか年が変わらない中で、小さかったリクルートを大きくしようと一緒にやっていた方々なので、濃い関係を築かれていました。
ですから、僕たちの世代は特別に近かったわけではありませんが、それでも印象に残っている言葉があります。「自分は内気でシャイで、人前に出るのも苦手だし、できないことがいっぱいあるんだ。だからこそ、採用関係の仕事をやっているので、他の会社の手本になるような採用の仕組みを作って、自分よりも優秀な人を取りたいんだ」と、いつもおっしゃっていた。採用にものすごく熱心だったのはそれゆえで、非常に感銘を受けました。

リクルートがスタートアップ精神を維持できる理由 【福田峰夫さんに聞く Vol.2】

それを実現するためにリクルートは実際、当時としては先進的な制度を導入していました。 一つは、「イコールオアベター」と言う考え方で、初任給や処遇も含めて、リクルートの社員は他の会社に比べて、イコール(同じ)かベターにする(よくする)という制度です。 この制度が導入された背景には、1970年初頭に多かった組合問題があります。組合が良い悪いではなく、経営と社員が一体化し、社員の人たちも経営者的なスタンス、視点で物事を見られるようにしたい、という大きな考え方のもと、「社員皆経営者主義」はリクルートの思想のベースになっていきました。