マイクロソフトの日本法人は、これまで100万人が訪問している「働き方改革の聖地」として知る人ぞ知る存在。いち早く在宅ワークやテレワークを導入し、時間と場所に縛られないフレキシブルな働き方を実践してきた。しかし、改革の成功の裏には多くの失敗があった。なかなか変わらなかったモーレツ企業は、いかにして働き方を180度変えることができたのか。成功のカギは、どうすれば「少ない人数でたくさんの仕事ができるのか」という取り組みにあった。3000人以上を取材したブックライターの上阪徹氏が、日米幹部への徹底取材で同社の全貌を描きだす新刊『マイクロソフト 再始動する最強企業』から、内容の一部を特別公開する。
マイクロソフトの日本法人は
100万人が訪れた「働き方改革の聖地」
一般にはあまり知られていないが、マイクロソフトの日本法人は今、大きな注目を浴びることになっている。政府を挙げて推し進めている「働き方改革」だ。
マイクロソフトの日本法人は、大胆な働き方改革を推進してきたことで、知る人ぞ知る会社になっているのである。
実際、オフィスの訪問・見学者は、なんとすでに100万人以上にもなる。経済界のみならず、政界、官界、地方など、幅広い分野から見学者が押し寄せているのだ。
きっかけになったのは、2011年2月のオフィス移転。都内7ヵ所に分散していたオフィスを段階的に品川に統合したが、これを機に働き方の刷新に取り組んだ。
当時のマイクロソフトの日本法人は、ITの先端企業とは思えないようなオフィスの様子だったらしい。紙だらけ。夜中までモーレツに働く。女性の離職率が高い……。
当時の社長で現在はパナソニック代表取締役の樋口泰行氏は、取材でこんなことを語っていた。
「ワープロしかり表計算しかり、働き方のツールを作ってきた会社なんです。ホワイトカラーの生産性を向上させるプロダクティビティツールと呼んでいましたが、改めて生産性を向上させるということを、自分たちで真剣に考えないといけないと思ったんです」
しかも時代は、一人当たりの生産性だけではなく、グループの生産性を求めるようになっていた。デジタル化がさらに進展し、タブレットやスマートフォンが当たり前になった。インターネットがつながっていれば、いつでもどこでも仕事ができる。そんな状況が生まれていたのだ。樋口氏は続ける。
「これは、自分たちが自ら新しい働き方を実践しないといけないんじゃないかと思ったわけです。正直なところ、日本は世界に比べてちょっと遅かったのですが、引っ越しを機にショーケースみたいなものが作れるんじゃないか、と」
2011年。まだ「働き方改革」などという言葉が生まれる前だった。やがて、日本政府も動き出して、働き方の改革に取り組もうという声が上がる。
一足先に改革に取り組み、しかも最新のデジタル環境を使ってオフィスを作り、社員の働き方を変えていた日本マイクロソフトに注目が集まったのは、当然の流れだったかもしれない。
東京・品川の本社にある、一般社員が働くオフィスを見せてもらった。まず目に飛び込んでくるのは、いわゆるオフィス用デスクなどがずらりと並んだ無機質な空間とはおよそ対極にある、オフィスらしくない空間だった。まるで海外のレストランのようである。
日本マイクロソフトの品川オフィス
アメリカ本社のオフィスも見せてもらっていたが、アメリカとも少し違う。聞けば、オフィスの移転の際、担当者は世界中のマイクロソフトのオフィスをめぐり、日本にふさわしいオフィスのイメージを構築していったという。
カラフルな色づかい、さまざまな形、大きさ、種類のテーブルやデスク。イスのタイプもさまざまで、デスクチェアもあれば、ハイチェア、カフェ風のソファ、ボックスシートもある。
個室も用途別に用意されており、4人ほどで会議をする部屋からオンライン会議やネット電話用の部屋、上司と部下で面談するのにぴったりの部屋、さらには一人でとにかく集中して仕事ができる部屋などもある。案内してくれた、コーポレートコミュニケーション本部長の岡部一志氏は言う。
「基本的にフリーアドレスです。ロッカーは決まっていますが、社員は社内のどこで働いても構いません。引っ越し当初は6割ほどがフリーアドレスでしたが、今は8割を超えています」
ITインフラには、マイクロソフトのクラウドサービス「Office 365」をベースにしたコミュニケーション基盤が使われており、ビジネス用Skype(Skype for Business)が組み込まれているため、固定電話が必要なくなった。だから固定席がなくなり、社員はどこでも働けるようになったのだ。