日本人はほとんど知らないが、コンピューターサイエンスの世界におけるノーベル賞クラスの人材がゴロゴロいる、世界最高峰の研究所がある。毎年、1兆円規模の研究開発費が投資される、IT関係者にとって垂涎の研究機関だ。世界中からトップクラスの頭脳たちが集まり、多くの研究を行っている。近年話題のAI技術も、ここから生まれたものが多い。未来の震源地となる、この研究所の実態とは?3000人以上を取材したブックライターの上阪徹氏が、日米幹部への徹底取材で同社の全貌を描きだす新刊『マイクロソフト 再始動する最強企業』から、内容の一部を特別公開する。

日本人が知らない謎の「世界最高峰IT研究所」に潜入

世界最高峰の研究所「マイクロソフト・リサーチ」とは?

 第7回でシアトル郊外のマイクロソフト本社での働き方を紹介したが、アメリカ本社での仕事という視点で、もうひとつ、マイクロソフト・リサーチを紹介しておかねばならない。

 アメリカはもちろん、全世界のIT関係者、とりわけ研究者にとっては垂涎の存在ともいえるのが、マイクロソフト・リサーチだからだ。マイクロソフトが作り上げた研究所である。

 驚くべきは、その投資額。マイクロソフトは、他のIT関連企業に比べても圧倒的に多い。それこそ医薬品会社くらいのスケールで、研究開発に投資をしているのだ。

 前年度の実績でいえば、売上高の実に14%。毎年、数千億円から1兆円以上の金額が基礎研究も含めたR&D費として投資されているのが、マイクロソフト・リサーチなのである。

 これだけの投資が行われる研究所だけに、もちろん研究員の顔ぶれも半端なものではない。日本人唯一のコーポレートバイスプレジデントである沼本健氏は言う。

「これは、とりわけ日本については、十分訴求ができていないところかもしれません。コンピューターサイエンスの世界におけるノーベル賞みたいなものを持っている人がゴロゴロいるような研究所を、マイクロソフトは持っているんですから。対外的な話となると、どうしても製品のことが多いんですが、その裏側にいる、いろんな分野のコンピューターテクノロジーの父とか祖とか、そういう人がたくさん社内にいるんです」

 日本マイクロソフトCTOの榊原彰氏もこう語る。

「アカデミアの間では、マイクロソフト・リサーチはとても有名な存在です。日本ではあまり知られていないかもしれませんが、それは日本には研究所がないからかもしれません。でも、知っている人は知っています。とりわけ大学の先生は知っていますし、コンピューターサイエンスの人にはキャリアパスのひとつとして意識されます。AI、ソフトウェアエンジニアリング系、プログラミング、アルゴリズムなどの特許と論文がたくさんあります。かなり優秀な人材が入ってきています」

 このマイクロソフト・リサーチで仕事をしている日本人社員に話を聞くことができた。アウトリーチと呼ばれる産学連携のグループに所属する公野昇氏だ。

 東京大学大学院でシステム量子工学を学び、衛星放送のビジネスに関わっていた。その後、独立行政法人の科学技術振興機構を経て2008年にマイクロソフトに入社。中国北京にあるマイクロソフトのアジア研究所と日本の大学とのコラボレーションをプロモーションする仕事を担い、2017年6月までは日本に勤務。その後、アメリカでの勤務に手を挙げた。

「マイクロソフト・リサーチの大きな特徴は、極めてオープンであるということです。最近は他の会社さんもずいぶんオープンになってきましたが、私たちは設立当初からずっとオープンで、研究した内容は基本的に論文にして公開していますし、人材の交流も行っています。大学からここに来たり、ここから大学に行ったり、あるいはここから他の会社に行くこともけっこうあります。人材の流動性もオープンなんです」

 研究内容は公開され、それをもとにしたさまざまな開発が世界中で進んでいく。マイクロソフトの研究所だからマイクロソフトが研究内容を独占しよう、自分たちの未来の製品につなげようということではなく、オープンにしてコンピューターサイエンスの、社会の発展に役立てようというスタンスなのだ。

「すべてオープンにしているというと語弊がありますが、私たちが考えているのは、ひとつの会社に閉じていると、長期的な視点で見ればあまり先がないということなんです。どうしても、ひとつの見方に固まってしまいますので。優れた人材の供給源は、世界各地の優れた大学です。そうした人材の流れも大事にすることで、新しい見方もどんどん入ってきますし、社会や研究者コミュニティーの流れからも遅れずに付いていくことができます」

 最新のトレンドにキャッチアップしていくためには、むしろオープンであることが価値を持つということだ。

「もうひとつの特徴としては、研究内容が極めて多岐にわたっていることが挙げられます。最近はAIがブームになっていますが、マイクロソフトはAI研究もかなり早くから多方面で進めてきましたし、例えばネットワークやシステム、プログラミング言語の研究など、幅広い分野に投資をしていることは大きな特徴だと思います」

 最近の新しい技術で、象徴的なものを尋ねてみた。

「AIのディープラーニング関連、音声言語処理の技術なんですが、人が話すのを聞いて、その言葉を認識するエラーレートが、マイクロソフトのテクノロジーを使うと一般の人間の誤認識率よりも優れ、プロの速記者のレベルを実現できました。これはマイクロソフト・リサーチ発の研究成果によるものです」