ただ、この年からロッテを率いた近藤昭仁監督はミートする能力に長け、ライナー性の打球を広角に弾き返すことができる福浦の存在を気に留めていた。迎えた7月4日。ついに一軍から声がかかる。二軍の秋田遠征に帯同していた福浦は、ちょうど夕食へ繰り出していた。

「夜になって急にマネージャー室に呼ばれて。びっくりしましたよ。何か悪いことをしたのかと思いましたけど、そうした心当たりもない。すると『明日から一軍だから』と。またびっくりですよ。緊張して夜も眠れなかったので、バットを振っていました。飛行機は悪天候ですごく揺れたんですけど、おかげで爆睡できました。重い荷物を抱えながら羽田空港から千葉マリンスタジアム(当時)へ急ぎましたけど、試合前の練習もほとんど終わっていて、最後にちょっとだけバッティング練習をして。そうしたら、先発で行くと言われてまたまたびっくりですよ」

 オリックスとの14回戦で「七番・ファースト」で先発した福浦は四回裏に回ってきた第2打席で、右腕ウィリー・フレーザーからセンター前へポトリと落ちるプロ初安打を放つ。翌年からは今現在も背負う「9番」に変えてヒットを積み重ね続け、実働22年目となる今年9月22日の西武との24回戦で、プロ野球史上で52人目となる大台到達を成就させた。

 2001年からは6年連続で打率3割を達成。いつしか「幕張の安打製造機」と呼ばれたが、30歳を超えてからはけがに悩まされるようになった。2009年を最後に年間100安打と規定打席到達を果たせず、安打数は左足首痛で大きく出遅れた2016年が20本、昨年が30本に終わっている。

 それでも、本拠地のライトスタンドを埋めるファンは『俺達の福浦』と命名された応援歌を熱唱し、榎本喜八、有藤通世に続く球団史上3人目の大台到達を願い続けた。2015年6月15日のヤクルト戦では通算2000試合出場を達成。これも球団史上4人目の快挙だったが、「本来ならば2000本安打の方が早くないといけないですね」と苦笑した福浦は、独自の信念を常に貫いてきた。

「ヒットが欲しいあまりにボール球に手を出す、あるいはフルカウントからボール球を打ちにいくようなことがあれば本末転倒。四球もしっかり選んで、出塁率もアップさせて、なおかつ打てる時に打つ。そうでなければ、僕という打者は終わりだと思っています」

 個人の記録を求めるあまりに、我欲が上回るようになれば潔くユニフォームを脱ぐ覚悟があると明かしてから約1年後の2017年2月。再び取材する機会があった石垣島キャンプでは、90打席で5四球だった2016年の成績を「明らかに四球が少ない」と戒めることを忘れなかった。