いつでもすぐ実況ができるように
まずは、スポーツ新聞のスクラップを始めました。
また、CSのプロレス専門チャンネルを見ながら音を消して実況の練習をしたり、東京や大阪、札幌などで大きな試合があるときには、ほぼすべて会社に休暇申請をして、自費でテレビ朝日の手伝いに行ったりしました。航空券や宿泊などは自費なのでお金もかかりましたが、「休暇に自費で」行動するかぎり、誰に何を言われることもありません。
プロレスの手伝いは業務ではないので、上司の判断で担当を外れることもなければ異動させられることもない。長期スパンで好きなだけチャレンジできるのです。
東京など、各地の会場に行くときは、いつでもすぐ実況ができるように「実況ノート」を持ち歩いていました。もしかしたら、実況担当のアナウンサーが事故で急きょ来られなくなるかもしれない。急に体調不良で実況できなくなるかもしれない。そんなときに「私がやります」と言うためです。
もちろんそんなチャンスはほぼないと思ってはいましたが、そもそもゼロからイチを生むチャンスを狙っているわけです。考えうることはなんでも想定して準備していました。
そして1998年10月24日福岡国際センター。まさかのそのチャンスが、本当に訪れたのです。