日本人の思考と行動を支配する「空気」という存在。その正体を分析した山本七平氏は、「臨在感」という言葉を繰り返し使った。私たち日本人は、恐れや救済などの感情を因果関係と結び付けて考える習性があり、それによって思考停止に陥り、時に操られている。「臨在感」とは何か? その呪縛から逃れるにはどうすればいいのか? 15万部のベストセラー『「超」入門 失敗の本質』の著者・鈴木博毅氏が、40年読み継がれる日本人論の決定版、山本七平氏の『「空気」の研究』をわかりやすく読み解く新刊『「超」入門 空気の研究』から、内容の一部を特別公開する。

なぜ日本人は神社に行くと良いことが起きると感じてしまうのか?

日本人を思考停止に追いやる3つの要因

 日本社会を見えない圧力で拘束する「空気」という妖怪。私たち日本人は、知らず知らずのうちに、空気によって思考と行動を縛られています。では、私たちはどのような構造で支配されているのでしょうか。空気の「支配構造」について考えてみましょう。

『「空気」の研究』では、その拘束力を説明するために、3つのキーワードが使われています。

 [1]臨在感(臨在感的把握)
 [2]感情移入
 [3]絶対化

 今回は、[1]の「臨在感」について解説していきます。

[1]臨在感
なぜ新聞記者はカドミウムを見てのけぞったのか

『「空気」の研究』では、繰り返し登場しながら、理解が難しい言葉の一つに「臨在感」があります。

 臨在感とは、物質などの背後に何か特別なものを感じることです。

 イタイイタイ病(公害病)がカドミウムという物質と関係ないことを研究した人物が、山本氏と会談したときのこと。その人物が新聞記者に囲まれて取材を受けた場面は、臨在感という言葉を理解する上で象徴的なシーンです。

(研究者の発言)「(中略)『カドミウムとはどんなものだ』と申しますので、『これだ』といって金属棒を握って差し出しますと、ワッといってのけぞって逃げ出す始末(中略)。私はナメて見せましたよ。無知と言いますか、何といいますか……」

(山本氏)「アハハハ……そりゃ面白い、だがそれは無知じゃない。典型的な臨在感的把握だ、それが空気だな(*1)」

 なぜ新聞記者たちは、カドミウム棒を見てのけぞって逃げ出したのでしょうか。

 富山県で発生したイタイイタイ病は、患者たちが痛みで泣き叫ぶためこの名前がつきました。この公害病の悲惨さを、記者たちは取材で何度も見ていたのです。

 イタイイタイ病発生以前に、カドミウム金属棒を見て記者がのけぞることも、逃げ出すことも、またそれに対して金属棒をナメて見せる必要も、絶対にありえないであ
ろう(*2)。

 記者たちは患者の悲劇をいくつも目撃して、工場排水中のカドミウムと病気の発生を、「恐れという感情」で結び付けていました。この体験が臨在感を生み出したのです。

(注)
*1 山本七平『「空気」の研究』(文春文庫) P.36
*2 『「空気」の研究』 P.42