臨在感の呪縛から逃れるには「歴史を学ぶこと」

 イタイイタイ病は、山本氏が『「空気」の研究』を書いた当時は、カドミウムと公害病の関連を科学的には証明できていませんでした。しかし新聞記者や現地の一部の人たちのように、早くからイタイイタイ病の原因をカドミウムだと「臨在感的に」気付き、早々に移住して難を免れた人たちもいたのです。

 山本氏は、次のように述べています。

 臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは常に歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう(*9)

 対象と特定の感情の結び付けは、さまざまな事実や体験、大衆誘導でも行われます。しかしそれは「歴史観的把握」つまり、過去の歴史を広く知った上で捉えないと、結び付けられた目の前の感情による前提に、人間が支配されてしまうのです。

 イタイイタイ病は当初、原因がわからず「精神的な要素」だと指摘されたこともありました。しかし、現代では物理的因果関係があることが明白になっています。歴史を知り、過去の臨在感の結果を学ぶことが、呪縛を破壊する助けとなるのです。

最強の大衆扇動術は「臨在感」を操ること

 ところで、臨在感はなぜ空気と関連しているのでしょうか。臨在感は、対象と何らかの感情を結び付けて理解することでした。その感情は大抵の場合、恐怖や嫌悪感、もしくは憧れや尊敬です。

 すると「臨在感=善悪の感情」となり、対象が善か悪かという「前提」として機能してしまうのです。感情的に理解させることは、前提(空気)の刷り込みそのものなのです。

 報道を通じてそれを臨在感的に把握させられたすべてのものを拘束してしまって、相対化によって対象から自由になり、それで「問題」を解決する能力を、全員に喪失させてしまうのである(*10)。

『「空気」の研究』で、臨在感が非常に大きく扱われている理由はその機能にあります。臨在感的な把握をさせることは、「感情的な前提」として対象の善悪を刷り込み、逆の要素の検討(つまり相対化)をさせない最高の大衆扇動術なのです。

 日本人が臨在感を定義せず、探究もしなかった結果、臨在感を意図的に操作されると、先の政治議論のように「正しいはずのものを」簡単に悪だと誘導されてしまいます。

 ほぼ関係ない一部の情報を拡散させることで、「○○がひどければ他でも信頼できな
い」という、間違った因果関係の推察を誘導されてしまうからです。

 臨在感を誘発させることが巧みな者のウソに、今も日本人は簡単に騙されています。日本人は、数多くの歴史を学び、臨在感の呪縛を打破する視点を身に付けるべきときを迎えているのです。

(注)
*8 『「空気」の研究』P.217
*9 『「空気」の研究』P.40
*10 『「空気」の研究』P.66

(この原稿は書籍『「超」入門 空気の研究』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)