駅伝は「お祭り騒ぎ」ではなく
正真正銘の「お祭り」である

 箱根駅伝は、大手町という「将門の首塚」から「関東総鎮守箱根大権現」と呼ばれた箱根神社を結んでいる。出雲全日本大学選抜駅伝のスタートは出雲大社。全日本大学駅伝対校選手権大会も、名古屋の熱田神宮を出発して、ゴールは「駅伝」に縁のある伊勢神宮だ。

 外国の人たちに「なぜ日本人はお正月に神社に行くのですか?」と尋ねられても「日本人はそういうものですから」と答えるしかない。「なぜ日本人は大木に乗って斜面をすべり下りたり、山車で猛スピードを出したりという危ないお祭りをするのですか」と尋ねられても同じだろう。

 駅伝もこれらと同じではないか。つまり、理屈で説明できるものではなく、日本人ならば気がつけば熱狂し、ハタから見ているだけでも胸が踊る「お祭り」のようなものなのではないか。

 箱根駅伝の魅力を語る際に必ず「ドラマ」という言葉が出る。実況アナウンサーもそこを意識して、スポーツ中継とは思えぬほど、思いっきり「情」に訴える。

 ペースが落ちれば大興奮、足が止まれば大騒ぎ。道に倒れたら大絶叫。また、箱根駅伝まで彼らがどういう鍛錬を重ねてきたかはもちろん、家族や友人、ライバルとの人間関係までつまびらかにして盛り上げる。

 なぜ、たかが大学生のスポーツ大会に、こんなにもお祭り騒ぎをするのか不思議で仕方がなかったが、「お祭り」だと考えればすべて辻褄が合うのだ。

 そんな馬鹿げた妄想には付き合いきれん、という全国数千万人の箱根駅伝ファンからの怒りに声が聞こえてきそうだが、歴史を振り返れば、駅伝がスポーツではなく「神事」として行なわれたという動かぬ証拠がある。

 1940年、日本の東北から九州、さらに朝鮮半島、満州、台湾の若者たちの中から選抜して大駅伝大会が催された。これは宮崎神宮(宮崎県)から橿原神宮(奈良県)まで、約1000キロを10日間で疾走するというものだった。

 なぜこんな凄まじい長距離の駅伝をやることになったのかというと、紀元2600年を奉祝するためだ。宮崎は神武東征のスタート地点。橿原神宮のある畝傍山は、神武天皇が即位した皇居があったとされる。要するに、これは「神武東征駅伝」だったのだ。ちなみに、この記念すべき大会で見事優勝を収めたのは「朝鮮台湾軍」だった。