そこでAさんは気がついた。「そういえば親父も好き嫌いの激しさが尋常でなかった」と。

「食の好みは父と私で違っているが、『好き嫌いをする』ことに関して、父と私は同じだった。父は毎食焼き鮭と豆腐ばかりでそれ以外のものはほとんど口にしなかったが、私は大根サラダと明太子以外をほぼ食べようとしなかった。『これって親父がやってるのと同じだな』と」

 このことについてAさんなりに分析があるようである。

「うちの母が実は料理が下手で、『お袋の味=まずい』という認識で育ってきた。父の偏食を考えると、焼き鮭も豆腐もほぼ調理の技術が介入する余地がなく、誰が作っても大体同じ味になる。私の大根サラダと明太子もそう。

 私と父の偏食は母の料理下手から逃れるために取られた緊急避難的な策で、つまり家庭環境によって培われたものなのではないかという気がする」

 Aさんの妻は幸い料理が下手ではないそうだが、長年続いた偏食生活は簡単に変わることなく現在も続けられているそうである。

 Aさんが偏食家になった原因には遺伝的なものに加えて、家庭環境などの後天的な要因も想定される。先天と後天の両方から攻められればAさんもたまらず、父に似てしまうのは避けられなかったようである。

嫌いだった父に自然と似る
「同じ土俵で打ち負かしたかった」

 Bさん(40歳男性)の父は大工であった。気性が荒く、体に彫り物があり、口下手で、何か言う前に手が出る激しさを備えていた。そんな父をBさんは憎悪していた。

 Bさんが「ギタリストになるために上京する」と宣言した際、父親と取っ組み合いになった。親子史上もっとも激しかったこのケンカは近所に住むBさんの叔父が止めに入ることで事なきを得たが、ほぼ勘当となったBさんは晴れて上京し、都会にもまれてくすぶることになる。

 Bさんはヘビーな音楽を好み、数々のバンドを転々としながらタトゥーを増やしていった。自身の体に入れ墨をすることについて「特に抵抗はなかった」とBさんは語る。そこには父の影響が少なからずあったようである。

「小さい頃から親父の墨を見てきたから、俺も早く入れたいとずっと思ってきた。親父に負けないようにするために墨は必要なんだと。今考えると幼稚でアホらしい考えだけど(笑)」(Bさん)