FacebookとGoogleが、AppleのiOSに用意されている「Developer Enterprise Program」の仕組みを通じて、社外の人にアプリを配布して個人情報の提供を受け、月額およそ20ドルを支払っていたことがわかりました。

 このことが発覚すると、Appleは規約に反するとして、2社のアカウントを通じて行なわれる、すべて社内向けアプリの配布をストップさせました。その後、対象となるアプリが削除され、その機能は回復しています。

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iOS端末には、社内専用アプリやテスト途中のアプリをApp Storeを通じないで配布するためのプログラムが用意されています。このプログラムを流用して、調査アプリを社外の人に配布し、情報収集に用いていた疑惑が持ち上がりました

社内用アプリの配布の仕組みを用いて個人情報を収集
FacebookとGoolgleの動きを止めたかったApple

 Developer Enterprise Programによるアプリ配布は、iOS上に用意される「App Storeの審査を回避してアプリを配布する方法」です。主に企業の中で使われたりテスト段階のアプリは、広く一般にアプリが配布されるわけではないため、こうした方法が用意されています。

 今回の規約違反は、Appleが考えるアプリ配布の範囲を超えていることが原因だったと見ることができます。しかしそれ以上にAppleが素早く動いたのは、GoogleとFacebookのアプリの挙動も関係していたと思われます。

 GoogleはScreenwise Meterというパネル調査アプリを、iPhone、Android、Chrome(ブラウザ)に用意し、一般の人にこれらへの参加を呼びかけ、見返りに月20ドルを支払っていました。このScreenwiseプログラム自体は2012年からChromeエクステンションとしてスタートしていました。FacebookはFacebook Researchアプリで同様の調査をしています。

 これらのアプリを使うことで、ウェブ検索、位置データ、プライベートメッセージといったユーザーのデータにアクセスすることが可能になり、調査データとして収集することができるようになります。この個人情報がiPhoneから企業によって取り出される点は、Appleにとっては重く問題視する材料になります。

 2018年に発覚したFacebookのCambridge Analyticaのスキャンダル以降、Appleはユーザーのプライバシーを重視する初弁を繰り返し、個人情報でビジネスを行う企業を批判してきました。

 もちろん今回のアプリによる情報の収集はAppleによって集められたものではありません。しかしAppleとして、iPhoneからユーザーの詳細な行動データが取得されていることを放置できないという考えが透けます。

 確かにAppleは個人情報を生かした広告ビジネスは展開していませんが、FacebookやGoogleのトップによる議会証言を見てもわかるとおりに、米国であっても、多くの人々はそこまでテクノロジーの「仕組み」に明るいわけではありません。つまり、この件で言えば、Appleは悪くないという理解が確定しているわけではないのです。

米国とは異なり、Facebookに警戒心が薄い日本の雰囲気

 日本に帰ってきて明確に空気が違うと感じたのが、Facebookに対する警戒感の薄さでしょうか。

 多くの人々がFacebookでプライベートや子どもの写真を投稿し、今まで通りコミュニケーションを楽しんでいます。なんとなく、Facebookに取っての理想郷が、まだ日本には広がっているような、そんな印象を受けました。それだけ、Cambridge Analyticaのスキャンダルの報道がきちんと伝わっていなかったか、他人事として捉えられていたのかもしれません。

 もちろん、それ自体は良し悪しの問題ではありません。そうした個人情報の流量に警戒した上で楽しんでいる、というよりレベルの高いユーザーが揃っていると見ることもできます。あるいは英語ではないという点で、海外のユーザーから言語的な部分で守られているという可能性もあります。

 もっとストレートに言えば、日本語の投稿、日本人の写真はハッカーにとっては利用価値がないと考えているのかもしれません。このことはあながち、冗談ではないかもしれません。

 グローバル化によって身の危険もローカルからグローバルへと拡大しており、その最もわかりやすい例がインターネット空間です。その点で特にセキュリティとプライバシーの問題は、身近なものとして取られていく必要があります。

一つ欠けている視点

 GoogleやFacebookは、明らかに我々の生活を便利にしてくれています。街中でランチに迷ったとき、Googleで周辺のお店を見つけることができるでしょうし、Facebookで【急募】とおすすめのお店を友人に聞いたら、知っているお店を教えてくれるかもしれません。

 我々にとって、情報とコミュニケーションに対するコストを格段に下げてくれているのがこれらのサービスです。インターネットがある生活の大きなメリットと言えるかもしれません。

 そして、我々はGoogleとFacebookにコストを支払っていません。にもかかわらず、これらの企業は最高益を更新し続けています。ここで考えることは、一般の利用者は「ユーザー」ではあるけれど「顧客」ではないという点です。

 ウェブ広告のビジネスモデルなので、顧客は広告を出稿する広告主ということになります。もちろんユーザーが集まっての広告価値ではありますが、我々がコストを支払って検索をしたり、友人とつながったりしているわけではありません。この点をどう評価するか、ということです。

 もし無理矢理コスト計算をするなら、個人の行動データと時間を支払っていると言えるかもしれません。もちろんこの議論には結論はなく、皆さんがどう思うかが重要だと思います。筆者がGoogleやFacebookの使用をやめることはありません。


matsu

筆者紹介――松村太郎

 1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。

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