震災経験と教訓を伝えたい
24歳の語り部の言葉

阿部任(あべ・じん)さん「地域のためにまちを盛り上げたい」と話す阿部さん。背景の白い建物が勤務先の石ノ森萬画館

 震災経験と教訓を伝え続けたい――。東日本大震災の被災地で活動する語り部は、自らが体験した未曽有の災害に向き合い、それを後世に残すために言葉でつないでいる。時間の経過とともに、記憶の風化と震災の未経験者が増える中、あの日に石巻で何があったのかを生の声で伝え続けている。

 まちづくり会社・街づくりまんぼうに勤める阿部任さん(あべ・じんさん、24歳)=石巻市大街道=は、石ノ森萬画館で仕事をしながら、求めに応じて各地へ出向き、震災の語り部としての活動も行う。「今は地域のために働くことが楽しい」と話す阿部さんは、震災から9日後に倒壊した家屋から救出された。

 震災当時、仙台市内の高校に通っていた。3月11日は石巻市門脇町二丁目の自宅でくつろいでいた時に突然激しい揺れに襲われ、「津波が来る」と直感した。幼い頃から祖母・寿美(ことみ)さんが話す、1960年に三陸沖を襲ったチリ地震津波の被害を聞いていたため、1階は浸水する可能性が高いと判断。非常用持ち出し袋を持って、当時80歳だった寿美さんと2人で2階に駆け上がった。

 波が押し寄せてくる恐怖におびえながらも1階の様子を見に行くと、窓ガラス越しにあふれている水が見えた。まるで水槽のようだった。次の瞬間、そのガラスが割れて水が家中に流れ込んできた。慌てて2階に戻り、寿美さんと棚の上にあがると、幸い水は足元で止まり難を逃れた。

 津波は家の1階を破壊し、残った2階は周囲のがれきとともに水の勢いで流された。恐怖と寒さに震えながら一夜を明かし、朝になって水が引き始めたため外に出ようとしたところ、がくぜんとした。あたり一面、流れてきたがれきに囲まれていたのだった。

 非常用持ち出し袋は流され、避難所に行くこともできなくなった阿部さんたちは、このままとどまるしかなかった。かろうじて1部屋分の広さがあり、冷蔵庫には水や食料も残されていたので何とか飢えをしのぐことができ、圧縮保管されていた布団を見つけて寿美さんの防寒用として使った。

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