「会社の親睦旅行に行ってくる」と島を訪れる男たち
冒頭の話にあったとおり、つい最近まで、西日本を中心に各地からその希少な「伝統産業」を島に求めて、「農業・土建業の団体客」に象徴されるような、日本の成長を担った男たちが途絶えることはなかった。すぐ近くにある神社への参拝とあわせて「会社の親睦旅行に行ってくる」と家族に言い残し、しばしの休息に出向いた男たちも多かったことだろう。
現在、この島で遊ぶ際のシステムはこうだ。
島の宿に泊まるか、あるいは置屋に直接赴くかすれば、「女のコ」を紹介してもらえる。日本人と外国人(タイ、台湾をはじめアジア系)の割合は半々か、やや外国人が多いかといった具合だ。
ショートが1時間で2万円。ロングがいわゆる“お泊り”で、夜11時~翌朝7時までで4万円。ロングは、遊女の機嫌さえよければ時間と体力の持つ限り何回でも“できる”し、手をつないでの散歩に誘ってくれたり、食事を作ってくれたりさえするうえに、島から帰る際には船着場まで見送りにきてくれるという。
当初、客引きは客にショートを勧めるのかと思っていた。効率よく客にカネを支払わせることができるからだ。だが、みなロングを勧めてくる。決して利益を軽視しているわけではないのだろうが、「把針兼」以来の“おもてなし”が今でもスタンダードなのかもしれない。
「伝統産業」に襲いかかる存亡の危機
しかし、今、この「伝統産業」が存亡の危機にある。前出の客引きの老女はこのように語る。
「ここ5年ぐらいで旅館も置屋も何軒もつぶれたんよ。バブルの頃くらいまではまだお客さんもいっぱいでねぇ。団体のお客さんがひっきりなしに来てはカネを落としていった。それが10年ぐらい前からかねぇ、とんと来なくなってしまった。今はせいぜい数人のグループとか、“遊ぶ”というよりも噂を聞いて好奇心で来るような20代の若い人とかばかりだねぇ」
それは、10分も島を歩いてまわればすぐに実感できることだった。解体途中のプールが放置されたまま廃墟となった宿。かつては数多の遊女たちを住まわせていたであろう、山の中にところ狭しと並ぶ荒れ放題の家屋。
何より、島の住民のほとんどが50代以上。60代、70代となるに従って増えていくようにすら感じられる。
客引きや「女のコ」にかまってもらいながら無邪気にはしゃぐ小学校低学年ほどの子どもも見かけた。宿の経営者の子であろう。「うちの子も大学生だけど東京に行ってんのよ」(スナック従業員)という話も聞く。
だが結局、島での生活を貫こうとする「若者」の姿を目にすることは皆無だった。
かつて、その従事者が島に大量のカネを落としていった日本の農業・工業は、バブル崩壊以降の長期不況の中で弱体化していった。いまや「使い捨て」の派遣労働者たちが、会社の経費で売春島に連れてきてもらえるような状況はありえない。島の客層の変化は、日本が成長期から成熟期を経て、縮小を始める転換点を如実に映し出していったと言える。