原発をめぐって交錯する2つの思い

 周囲では、様々な形でこの「豊かではない地」の窮状に拍車をかける動きも起きている。その象徴が「A原発建設計画」だ。

 この島と同じ灘に面する海岸に、「A原発」の建設が計画されたのは1963年のこと。近代化が最高潮に達して高度経済成長にまい進する中で、この計画は地域の基幹産業である漁業の衰退を横目に、県南部地域の原発推進派と原発反対派の対立を引き起こした。

 それは「原発を軸に中央からの再配分にすがる地域として生きるのか」あるいは「自らで新たな産業を作り出し、地域として自立して生きるのか」という価値観の激しい争いであったが、一方で、彼らに共有されている大きな目標もあった。それは「子や孫が安心して地元で暮らしていけるような地域にしたい」という思いだった。

 ひとたび、原発を受け入れれば、国と電力会社から多大な補助金が入るのみならず、多大な雇用が創出され、その波及効果が長期間にわたって持続する。いち地域が都市の近代化に必用なエネルギー供給の根幹を支えるという、重要な役割を担わされるがゆえの「大金」であった。

 地域の漁業・農業が衰退する中で、「原発に依存する安定した地域」か、「原発ではない新たな産業で生き残る地域」かを選ぶ対立は激しいものだった。90年代後半以降は、再分配削減型の地方分権政策が貧しい地域をより貧しくする中で、原発誘致はほかに産業がない「ムラ」たちへの「特効薬」となってきたのである。

近代化の極致で切り捨てられる「裏」の顔たち

 2000年2月22日。約40年続いた戦いは終わった。今でも地域改革派として名高い当時の県知事が原発建設計画を白紙撤回し、地元電力会社が断念したのだった。

 外の人間は「そんな汚らわしい麻薬など捨ててしまえ」というだろう。しかし、この「特効薬を捨てる選択」が正しかったのか否かは分からない。

「地域の自立」という名の弱肉競争の時代において、もしこの地域が原発なき、あるいは売春なき自立に成功しなかったならば、この地は遠からぬ将来において、今以上に仕事が無くなり、若者が残らない「負け組」地域になってしまう。一つの灘におこった、「原発を受け入れる」という地域の過疎化を止める特効薬を拒否する選択は、そして「売春」という「伝統産業」を捨てるという選択は、達成困難な地域の生き残り競争への参戦を受け入れる選択でもあった。

 明治以降、華々しい躍進を遂げた日本の近代化の「表」の顔のもう一方には、限られた場所に集められた近代化の「裏」の顔がある。人口増大、技術革新、消費社会化といった「表」に隠されたところにあったのは「売春島」であり「原発誘致をせざるをえない貧しい地域」であり、その他諸々のこぼれ落ちる「裏」の顔たちだった。

 近代化の極致において、「裏」の顔たちは切り捨てられようとしている。