ギャグでもないユーモアとも違う
ウィットの概念こそ必要なもの
ドタバタしたイメージの「ギャグ」に対して、知的な雰囲気漂うのが「ウィット」。世の中の大部分で、ダジャレは「オヤジギャグ」などと呼ばれているけど、石黒流ダジャレ道の定義においては、2つはまったく別のものということは連載第1回で書いたとおり。
そして我々ダージャリストが標榜するダジャレは、ウィットに富んだものを目指しているのです。
ギャグでないのはもとより、ユーモアとも少し違っていて、あくまでウィット。よく、アメリカンジョークや偉人の切り返しなどでこの言葉が使われますが、僕としてはダジャレの作り方及びリアクションにこそ、この概念を持ち込んで頂きたいと思うのです。制作者、もしくは、レシーバーの知的センスが、きらっと、ほんの少しでもいいから光る。そんなダジャレとリアクションを目指していきましょう。
センス良いボールを返して会話する
意識することでウィットの力がつく
前回書いたように、ラリーがあってこそダジャレ世界は広がります。ダジャレ単体の言いっぱなしは、無人の相手コートにサーブを打ち込むようなもの。自分で楽しむためだからこれだけでもいいんだけど、人によってはちょっとLUNASEAと感じるかもしれません。
やはり、返すレシーバーがセンスのいいボールを返して心地よい会話を成立させたほうがより楽しいし、レシーバーも常時そう意識することでウイットの力がついてくるはずです。
そのリターン、つまり理想的リアクションはどういう思考回路で生みだしていくか。今回はそこらあたりを掘り下げてみます。前回、実例を挙げましたが、字数的に標本数が少なかったので、さらに方向性を掴んでいただくためにもまず、さらさらとピックアップしてみます。