
日本の政界には、長年にわたり隠然たる影響力を持った男女のフィクサーがいた。自民党の前身である保守政党の結党資金を提供した児玉誉士夫と、日本最大の黒幕といわれた辻嘉六を父に持つ辻トシ子だ。二人とも、辻嘉六から遺産を引き継いだ“相続人”であり、米国と連携しながら伸し上がったという共通点がある。しかし、両者は表向き無関係であるかのように振る舞っていた。『昭和の女帝 小説・フィクサーたちの群像』のモデルである女性秘書の謎に迫る特集『小説「昭和の女帝」のリアル版 辻トシ子の真実』の最終回では、辻トシ子の手帳など未公開史料を基に、彼女と児玉の関係に迫る。(ダイヤモンド編集部副編集長 千本木啓文)
辻嘉六、辻トシ子が日米の記録から抹殺された理由
おしゃべりで派手なフィクサー児玉とは対照的…
自民党の前身である日本自由党の結党資金を用立てた辻嘉六は、政界最大の黒幕といわれた。彼の遺産を継承したのは、娘の辻トシ子と、結党資金の原資を提供した戦争成り金、児玉誉士夫だった(詳細は本特集の#9『自民党のゴッドファザー・辻嘉六の“遺言状”を公開!児玉誉士夫、米情報機関とのつながりが判明…結党資金を鳩山に差し出した黒幕の遺産の行方』参照)。
その遺産には、現金や不動産だけでなく、政治家にいくら献金し、どのような便宜を図ったかといった“貸し”や、米国とのつながりも含まれていた。辻トシ子と児玉は、それらの遺産を最大限に活用して政財界でのし上がっていく。
ところが、二人のフィクサーは、表向きは協力した痕跡を残していない。両者が裏で連携していたかどうかは興味深い論点だ。青山学院大学文学部史学科教授の小宮京は、「児玉は三木武吉や河野一郎、中曽根康弘といった右派に近い。辻トシ子は吉田派の流れを汲む宏池会と親しい。派閥間の利害を調整しなければならない場面で児玉と彼女が協議すれば、話をまとめることも可能だ。いざというとき連絡ができるくらいの水面下で交流はあったのではないか」とみる。
両者の関係を考えるときに、欠かせないキーパーソンがいる。
一枚の写真が、筆者の手元にある。撮影された現場は、1951年のサンフランシスコ講和条約の締結後、公職追放が一斉に解除されたことを祝う席だったとみられる。写っているのは戦後、GHQが推し進めた財閥解体や農地解放といったリベラルな政策を転換し、日本を反共産主義の砦にしようと画策していた面々だ。
1951年のサンフランシスコ講和条約の締結後、公職追放が一斉に解除されたことを祝う白洲次郎(前列右から3人目)ら日米のキーパーソンたち
有名どころでは、日本政府のGHQとの交渉役だった白洲次郎(前列右から3人目)や、読売新聞の社長で原子力発電の導入や日本テレビ放送網の創設に関わった正力松太郎(白洲の右)がいる。正力の後ろに立っている蝶ネクタイの男は、正力の右腕として、原発の導入や日本テレビの設立を主導した柴田秀利だ。柴田は著書『戦後マスコミ回遊記』の中で、辻トシ子と赤坂や新橋で飲み歩く「仲間」だったことを明らかにしている。
写真の前列中央左にいる体の大きな外国人は元海軍大将、トーマス・ハートだ。ハートは、GHQが推進したリベラルな政策を逆戻りさせる、いわゆる「逆コース」を後押しした圧力団体、アメリカ対日協議会(ACJ)の初期メンバーだった。
これら日米政府を動かしていた面々の中に、辻トシ子と児玉の共通の重要なパートナーがいる。日系2世で最も成功した人物といわれたK・スガハラ(菅原敬一)だ。
写真の左端で腕を組んでいる太々しい男がスガハラである。彼はCIA(米中央情報局)の前身の情報機関OSS (米戦略情報局)の工作員として、ビラやラジオ放送を使って日本軍の戦意を失わせる作戦に従事。戦後は、最近でいうところの「ジャパンハンドラー」的な役割を果たした。ジャパンハンドラーとしての第一歩が、1948年のACJ設立に深く関わったことだ。発足して間もないACJは資金が潤沢でなかったため、スガハラがニューヨークで経営する真珠商会のオフィスに居候していた。
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍のために、戦車やジェットエンジンの製造に欠かせないタングステンを調達するために奔走した。彼は、300万ドルを米政府から与えられ、日本を拠点にタングステンを探し求めた。活動資金を前払いしたのはCIAだった。
朝鮮戦争のさなか、米軍の戦略物資が底を突きかけていること自体が軍事機密だったため、スガハラらによるタングステンの調達作戦は極秘裏に行われ、関係者の間で「W作戦」と呼ばれた(W作戦の「W」は、ドイツ語でタングステンを意味するWolframの頭文字)。
W作戦にはもう一人、米国側のキーパーソンがいた。上の写真でスガハラの右後ろに立っているマーク小松(小松信之介)である。小松は米国に留学経験がある人物で貿易会社を経営。スガハラの旧友でもあった。
実は、W作戦の日本側のキーパーソンが、戦時中タングステンやモリブデンといった戦略物資を日本海軍のために調達してきた児玉だった。
スガハラ研究の第一人者であるメイン大学教授のハワード・ションバーガーは、スガハラが小松のコネを使って、隠されたタングステンの在りかを調べ上げたとした上で、スガハラへの聞き取り調査の結果として次のように述べている。
「小松は『日本の暗黒街の親玉グループ』をつくり上げた。この中には悪名高い児玉誉士夫も含まれており、彼らは(戦時中)日常的な贈賄、麻薬取り引きや組織テロを通じて、中国から推定20億ドル相当の戦略物資をひねり出す、後暗い仕事を請け負っていた。そして小松は終戦に当たって、日本の手下や軍幹部の友人たちが降伏条項に定められた米占領軍への提出を避けるために、タングステンをはじめとする重要な備蓄物資を隠した場所を知っていたのである」(『ジャパニーズ・コネクション 海運王K・スガハラ外伝』)
つまり、1950年代のW作戦において、スガハラは、児玉を上手く使っていた。それによってタングステン500トンを調達し、「米国政府の期待を裏切らない日系2世」として信頼を得ることができた。それを機に、米国企業が持つ日本の利権に食い込んでいく。スガハラは、日本に石油を輸送するタンカーを多数所有し、巨万の富を得た。日系2世として最も成功した海運王とさえいわれた。
ちなみに、W作戦の当時、スガハラと小松は戦勝国側、児玉は敗戦国側だったので、その関係は完全に主人と使用人だった。スガハラと小松は、電報を打って児玉を呼び付け、何分後にやって来るかカネを賭けていたほどだった。後に「戦後最大のフィクサー」、ロッキード事件後は「暗黒の帝王」と称された児玉も、戦勝国のキーパーソンの前では形なしだったのだ。とはいえ、スガハラは児玉に、戦略物資の対価として数億円を渡したと書き残しているので、金銭面からいえば、児玉にとっても悪い仕事ではなかっただろう。
では、辻トシ子は、スガハラや小松、そして児玉と、どのようにつながっていたのか。次ページでは、辻トシ子の手帳から、児玉らとの関係を明らかにする。
昭和の女帝
小説・フィクサーたちの群像
千本木啓文著
<内容紹介>
自民党の“裏面史”を初めて明かす!歴代政権の裏で絶大な影響力を誇った女性フィクサー。ホステスから政治家秘書に転じ、米CIAと通じて財務省や経産省を操った。日本自由党(自民党の前身)の結党資金を提供した「政界の黒幕」の娘を名乗ったが、その出自には秘密があった。政敵・庶民宰相との壮絶な権力闘争の行方は?













