ホンダといえば、かつて「世界のソニー」と並んで「世界のホンダ」と称されていた。いわばベンチャー企業のはしりで「冒険的な自動車メーカー」として世界から一目を置かれる存在だった。それは創業者である本田宗一郎の反逆精神が、ホンダの社風・文化として強く根付いていたからだ。

 本田宗一郎と、今のホンダの実務面を築いた藤沢武夫の創業者コンビ、つまり「技術屋」と「営業屋」の両輪によって、経営を担う体制が後継されていったのもホンダらしさの表れだった。

 筆者は、創業コンビ以降の歴代社長・会長とずっと付き合いがあるが、“本家”の本田技術研究所社長からホンダ社長に転じたトップは、それぞれ個性は違えどトンがっていた。それはいい意味で「他は何するものぞ、ホンダの独自性を貫く」という矜持を感じさせたものだ。

 しかし、大企業となっていく中で、近年はホンダらしさが徐々に薄れていく傾向にある。特に、現行の八郷隆弘社長体制はグローバル拡大路線の縮小修正や多発する品質問題の対応に追われてきた。このために、「ホンダのとがった面白さが失われてきた」と受けとめているのは筆者ばかりではなかろう。

「ホンダは何かおかしいね」
との見方が強まっていた

 確かに、八郷社長は2015年6月に就任してから伊東前体制のグローバル600万台拡大路線を修正するなど、業績低下への対応からのスタートだった。ただ、主力四輪事業の世界拡大路線は伊東体制だけでなく、ホンダ歴代トップの念願でもあった。日本国内でも100万台販売ビジョンが打ち出されていた。しかし、ホンダの国内販売の現状は、今期見通しでも65万5000台であり、その中でも軽自動車のウエートが高まっており、「ホンダは国内では軽メーカーか」と揶揄(やゆ)されるほどだ。

 リーマンショックから立ち直った伊東体制はグローバル600万台を高らかに宣言したものの、品質劣化問題(フィットの5度にわたるリコールにタカタのエアバッグ問題)に追われることになり、八郷体制ではグローバルで過剰となった600万台生産能力の修正・立て直しを迫られた。

 結果的に八郷体制のこの5年は日本国内の狭山工場の閉鎖、EUを離脱する英国工場閉鎖、フィリピン工場閉鎖など日本を含む世界の工場生産撤退など後ろ向きの話題ばかりを投げかけた。

 タカタのエアバッグ問題ではタカタとホンダのもともとの関係が深いこともあって苦労したが、その後の品質対応でも問題が相次いだ。最近では軽自動車のN−WGNが部品の不具合で発売が遅れ、発売後も生産停止が続いた。さらに、新型フィットは2019年内に発売予定だったが、これも部品の不具合で発売が遅れ、年を越した2月、発売にこぎ着けた。

 トラブルが続き「ホンダは何かおかしいね」との見方が強まっていた。