新聞社の社会部から経済部に配属された猿田真弓。派手な取材が好きな真弓だが、配属早々、決算書を理解せよと上司に命じられる。意外にも渡された虎の巻は超簡単だった。特集『会計&ファイナンス』の物語・第1話では、主人公・真弓とともに財務3表の基本を学んでいく。
実は簿記の知識は一切不要で超簡単
虎の巻で財務3表を理解せよ!
「この新聞にも記事が載っているぞ。なんとかしろと言っただろ!」
男は新聞を机にたたき付けると、もう一人の男をにらみ付けた。紙面には「利益圧迫の可能性」と、財務に関する小さな記事が掲載されている。
大声で怒鳴られても、もう一人の男は怯むことなく、冷たい口調で言い返した。
「大丈夫ですよ。まだ、うちへの影響には気付いていないですし。幾つも手を打ってありますから」
「そうか……」
怒鳴った方の男は落ち着きを取り戻すと、強い西日が差す窓の前まで歩き、諭すように続けた。
「手荒な手段を取ってもいいんだぞ。君にはそのために協力してもらっているんだから。どん底にいた君に手を差し伸べた恩を忘れるなよ」
「心得ております」と答えた男は、あいさつもせずに部屋を出ていった。そしてすぐにスマートフォンを取り出すと、短いメッセージを送った。
「実行しろ」
ロンドンの襲撃
背後からの襲撃はなんとかかわした。頭からの出血が止まらないが、封筒を汚してはいけない。
「早く、これを送らなければ……」
幸い、角を曲がると郵便ポストが見えた。荒い呼吸で足を引きずり、なんとか投函したその瞬間。大きなワゴン車が突っ込んできた。
はね飛ばされてあおむけになると、ロンドンの曇り空が見えた。薄れていく意識の中で最後に願った。
「まさか、出張中に仕掛けてくるとはな……。どうか、日本に届いてくれ」
経済部への異動
その3カ月前の東京。
「本日よりこちらに配属されました猿田真弓(さるた・まゆみ)と申します! 伝統ある毎経新聞の経済部の一員として頑張ります。よろしくお願いします!」
真弓は自分のキャラに反したハキハキした口調で、しかも深々と頭を下げてあいさつしたことを後悔した。頭を上げると、ほとんどの記者がこちらを見ていない。部屋には20人ほどいたが、パソコンの画面に向かうか、スマートフォンで電話をするか。皆、仕事に没頭していた。
「ま、そうだよね、新聞社だもんね」。自分に言い聞かせて、席を探そうとしたとき、後ろから声を掛けられた。
「お、あんたかい、今日から配属された優秀な女性というのは。大阪の社会部ではずいぶんと暴れていたそうじゃないか」
真弓は直感的にその人物が伏木悟郎(ふしき・ごろう)だとすぐに分かった。いかにも「体育会系スクープ記者」という風貌だったからだ。
新聞記者のタイプはさまざまだ。ペンで世の中を正そうとする“正義感”に燃える社会部タイプ。社内の政治に明け暮れる官僚タイプ。取材する体力も気力も落ちたのか、一日中何もせず机で新聞を読んでいる窓際タイプ。
そんな中で、悟郎は新聞業界全体に名前が知られるほど、スクープを連発するスター記者だった。若い頃は社会部で活躍したが、今は本人の強い希望で経済部に所属しているという。大学時代にラグビーで鍛えた体を生かし、地道に足で稼いでネタを取り結果を残していた。
「自己紹介はもう済んだかい? そしたら、人手が足りないし、さっそく仕事をしてもらおうかな」
「はい!」
真弓は少しうれしかった。大阪での活躍を悟郎が知っていること。そして、いきなり信頼されて仕事を任されること。
「じゃあ、この決算書読んでみて」
「え!? 決算書?」
「そう。決算書。決算書って読んだことある?」
「え、あ、その~配属が決まってから、この本で勉強しようとは思っていたのですが」
真弓はしどろもどろになりながら、バッグから一冊の本を出して答えた。
「ちょっと見せてくれよ」。悟郎は奪い取ると、パラパラとめくりながら言った。
「ふ~ん。これ、ちんぷんかんだっただろ?」
「はい……ちんぷんかんぷんでした」
悟郎がさっと本を見ただけで、言い当てたことが不思議だった。その疑問に答えるように悟郎が解説してくれたところによると、こういうことらしい。
多くのビジネスパーソンや新聞記者には、会計士になるための知識や簿記の資格を取るほどの知識は必要がない。決算書の大枠や勘所だけつかんでおけばいいのだ。ところが、世に出ている「決算書が分かる」と銘打った本の多くは、必要がないほど難解な知識を覚えさせようとする。だから読者は挫折してしまう、というのだ。
「ま、俺も今の説明は他人からの受け売りだし、決算書もざっくりしか理解していないから、大丈夫だよ。それに社内にはおかしいほど財務に詳しいやつが一人いるからな。いざとなったら、そいつの知恵を拝借すればいい。で、これが、そいつが新人記者向けに作った『財務理解 虎の巻』だ。これだけ理解すればいい」
渡された冊子は10ページあるかどうかの薄さだ。分厚い本を読まなければいけないことに嫌気が差していた真弓は、跳び上がらんばかりの気分だった。
「ありがとうございます! その、“そいつ”とは誰なんですか?」
「ま、そのうち紹介するよ」