アイデンティティを
再定義する
後藤:革新的技術の導入によって、公認会計士や弁護士などのプロフェッショナルだけでなく、あらゆる職業で「何のためにその仕事はあるのか」というアイデンティティが問い直されていると、私は見ています。
たとえば企業法務の世界では、パートナー弁護士よりも、データベースを使いこなせるアソシエートのほうが、クライアントから頼りにされる現象が見られると聞きます。膨大なデータから関連する情報を取り出すのは機械が得意とするところで、いくら優秀で経験豊富な弁護士でもかないません。人間を相手にした弁論や交渉などはともかく、その前工程では、プロよりも機械のほうが力を発揮することがあっても不思議ではないでしょう。
個人と同様、組織のアイデンティティも再定義されることになります。たとえば、世界最高レベルの頭脳集団の名をほしいままにしてきたNASA(アメリカ航空宇宙局)も、研究内製の割合を引き下げて、オープンイノベーションを取り入れた際に、アイデンティティの見直しを迫られました。それまでのみずからが答えを出すことにこだわる「ソリューション提供者」から、世界中から優れた技術やアイデアを見つけ出す「ソリューション発見者」へと変化したのです。この時、アイデンティティの変化にうまく順応した研究者だけが、変革後に活躍できたという研究もあります。
小川:それは面白い話ですね。再定義であると同時に、組織としてのNASAも研究者個人も、原点に立ち返る必要があったのではないかと。そもそも彼らの使命は人類の未来につながるソリューションを生み出すことですから、みずからの力で開発するのか、それともオープンイノベーションを選択するのかは、本来はどちらでもいいはずです。ともすれば権威的になりがちな大組織が、自前主義を克服して外部の技術やアイデアを広く取り入れるのは簡単なことではありません。NASAがそれに成功したのは、自分たちの原点に立ち返ることができたからでしょう。
その意味では、会計監査にも原点回帰が求められているのかもしれません。監査の目的は監査基準に則って監査を行うことではなく、財務諸表の信頼性を確保することです。いくら正しい監査手続きをしても、結果として重要な不正や誤謬が見逃されてしまえば、「監査の失敗」といわれても仕方がありません。そうした事態を防ぐためには、AIをはじめとする革新的な技術もどんどん取り入れるし、会計以外の領域の専門家ともチームを組む。監査基準に書かれていないからといって、躊躇する理由はないはずです。情報に信頼を与え、健全な経済の発展のために監査を行う。それが監査法人の組織アイデンティティであり、会計士の使命だと考えています。
後藤:企業ではいま、経営のグローバル化や技術がもたらす変化に伴って、自社のあり方を再定義する動きが目立ちます。組織が信じる軸や目的をはっきりさせることは、これまでになく重要性を増しています。
少し飛躍した話ですが、先ほどの「業務の仕分け」が進めば、仕事の単位はこれまで以上に「人」から「業務」に移ります。いまいる社員を前提に業務領域を丸ごと任せるという考え方から、必要な業務やプロジェクトを考え、そのためのAIや人材を確保するという方向です。これは副業や兼業の浸透を追い風に、いろいろな組織で案件を少しずつ掛け持つプロジェクト型のキャリアをより一般化させる可能性があります。その時、企業は仕事のパートナーとして選ばれるために、社内外や国内外を含む多様なメンバーを惹き付け、混成チームを一体にするような、独自の意義を示す必要があります。開放型の未来組織は、それに合った開放型の「志」を具体化して持つ必要があるということかもしれません。