3社連合の新方針としての「リーダーとフォロワー」における開発分担では電動化や自動運転において日産、コネクテッドカーや小型車でルノーが主体であり、三菱自の開発分担はプラグインハイブリッド車に限定されたかのように見える。世界の地域分担でも日産が北米・中国・日本、ルノーが欧州・南米などに対して三菱自は東南アジア・オセアニアを任されるにとどまった。

 もちろん、三菱自の強みはタイ・インドネシア中心の東南アジアであるが、ホームマーケットの日本は日産に任せることで軽自動車のように生産委託先に過ぎない存在にならないか。開発技術陣のモチベーションダウンにならないかという懸念が強まる。

 詳しくは後述するが、三菱自は、2016年10月に日産が34%出資して日産の傘下入りした。当時、三菱自が燃費不正問題で窮地に陥り、ゴーン日産が三菱自の再建を進めることになった。

 だが、今や日産は三菱自再建どころか自らの再建に躍起となっている。三菱自再生の旗手として日産から送り込まれたアシュワニ・グプタCOO(最高執行責任者)は、半年足らずで日産のCOOに復帰してしまった。

 三菱自は、三菱重工に代わって三菱商事との連動を強める方向で再建を進めることになる。

 6月18日の株主総会で、加藤隆雄CEOは「アセアンをコア地域とし、固定費を2年間で2割以上削減する。3社連合もコロナの影響もあって大きな転換期にあり、選択と集中を本格化させるが、非常に厳しい状況下にある」と発言した。

相次いだ不祥事
1990年代後半から苦難の道のり

 三菱自は、三菱重工業から分離独立したのが1970年。設立は日本車メーカーでは最も歴史が浅い。だが、三菱系の自動車開発の歴史は古く、軽自動車から小型車でミラージュ・ランサー、中型車でギャラン、大型車のデボネアにジープタイプのパジェロまでと幅広い乗用車部門に加え、トラック・バス部門(三菱ふそう)と、総合自動車メーカーを誇っていたこともある。日本のスリーダイヤグループの自動車事業を担う企業だ。

 三菱重工の自動車事業部門時代から戦闘機の設計・開発技術を伝承し、独立後のトップも航空機開発畑の技術屋が続いた。韓国の現代自動車にも技術供与し、三菱自の技術開発力は現代自が世界トップに伍する力をつけた源でもある。