グリーンスパン前FRB議長は、かつて株価を「根拠無き熱狂」と評したことがあったが、後には「バブルは後になってみなければわからない」という立場を取り、資産価格について正面から取り上げなくなった。中央銀行が株価や地価についてコメントすることに関しては、これらは市場で決まるものであり(中央銀行の政策が価格に影響することは確実なのだが)、コメントはしないほうがいいとする意見が優勢のようだ。
わが国では、日銀が1980年代後半のバブルの時代に批判されて以来、株価についてはコメントしなくなった。あのときは、確か日経平均が2万円に乗る前だったように記憶しているが、日銀総裁のコメントが一時的に株価にマイナスの影響を及ぼし証券界から文句が出て、その後、株価はどんどん高くなったので、日銀としてはものの言いようがなくなった。それから後は、金融研究所のレポートなどで、研究員の個人的な見解として株価に触れることはあっても、日銀の総裁が株価や地価の水準について、高いとか安いとか、コメントすることはなくなった。
コメントが株価や地価に影響を与えた場合、市場の参加者からはなんらかの文句が出る可能性が大きいし、コメントを予測と解したときに、その後の市場価格の推移によって、すっかりそれが否定される可能性があるから、中央銀行としては資産価格にコメントしないほうがいい、という建前にしておくと居心地がいいのだろう。
だが、グリーンスパンの時代を振り返ると、90年代後半のアジア通貨危機の後の金融緩和はIT株のバブルを導いたし、ITバブルの崩壊後には金融緩和に転じて、2003年には1%の政策金利を約1年引っ張り、住宅バブルをつくることによって景気を浮揚させて、辻褄を合わせた。
彼の回顧録を読むと、サブプライムローンに関して、これが普及する時期には、リスクはあるもののメリットのほうが大きいと判断していたようだし、その後の講演などの発言でも、在任中の判断について後悔している形跡はない。
しかしよく考えると、グリーンスパンは資産価格についても、率直に「市場との対話」を行なうべきだったのではなかろうか。
たとえばPER(株価収益率)で100倍を超えるようなIT株の株価が正当化されるためには、どの程度の利益成長が必要であるかとか、サブプライム層への住宅ローンが将来破綻しないために、どの程度の住宅価格の上昇が必要で、家賃から見てそれが維持可能か、という分析について、疑問の形式を取りながらでも率直に指摘するほうがよかったように思う。
中央銀行の金融政策は最終的には金融を緩和するか引き締めるかのどちらかしかないにもかかわらず、物価と、景気と、資産価格という3つの重要要素に影響する。
前2者については、たとえば景気のために金融緩和を行ないつつも、物価にも注意を払っていることをFRB議長の発言によって市場に伝え、1つの手段で2つの目標をコントロールすることに関して、グリーンスパンは成功したように見えた。しかし、景気を浮揚させる際に、株価や不動産価格のバブル的な上昇に頼り、後にツケを残した印象が否めない。
結果的に間違えることがあるとしても、中央銀行は、資産価格とリスクプレミアムや収益(企業の利益や不動産の家賃)との整合性について、率直に議論するコミュニケーションの文脈を開発すべきではないだろうか。