鹿島は大手ゼネコンの中でいち早くデータセンターの建設を手掛け、専門部署も持っていた。データセンターは、不動産投資家が熱い視線を注ぐホットな分野。しかし、鹿島はシェア5割を握ったにもかかわらず、専門部署をつぶしていた。特集『ゼネコンの呪縛』(全20回)の#10では、グーグルのデータセンター開設の内情など、データセンターの市場動向を詳細にレポートする。(ダイヤモンド編集部 松野友美)
鹿島はデータセンター建設の先駆け
一時は国内シェア5割を占めた
東京都心から離れたベッドタウンである千葉県印西市には、窓がない巨大な箱状の建物が何十棟も並んでいる。建物内にあるのは無数のコンピューターやデータ通信機器。何十棟もある施設の正体は、データ流通量の増加に伴い世界中で増え続けているデータセンター(DC)だ(次ページ図「21カ所が集まるデータセンター“銀座”『千葉県印西市のデータセンター立地と建設予定地』」参照)。
世界のDCの市場規模は2019年に285.6億ドルだったものが、22年には1.2倍の342.6億ドルに成長すると見込まれている(総務省の「令和2年版情報通信白書」、データの出所は英Informa社)。
日本のDC新設やリニューアルの建設投資は年間6000億円規模になる。これは約360カ所の商用のものが対象だ。このほかにメガバンクやインフラ企業、大学など自前で使うものが全国に5000カ所以上あり、全て含めると投資額はさらに膨らむ。
ゼネコン業界でいち早くDC建設に手を出したのは大手の鹿島だった。
鹿島は1995年、米国の電話最大手であるAT&TからDC設計と施工を米国の現地法人が請け負った。この実績で評判を得て事業を拡大し、99年に国内初のDCを建設した。2000年には、建設業界初のDC専門部署としてiDCプロジェクト室を開設、一時は国内DC建設でシェア5割を占めるまでに上り詰めた。
数年遅れて他のゼネコンもこれに続き、市場は鹿島、清水建設、大成建設の大手3社による寡占状態になった。
しかし15年度末、鹿島はDC専門部署をつぶした。