高校の教育を豊かにするには

工藤 私は二つのことを懸念しています。一つは、いまだに忘れられない夢になっている「昭和の人生すごろく」を、令和の時代にはやめましょうということです。教育界ではわれわれ教員の価値観がなかなか変わらないのですが。

――それは、いわゆるいい大学へ行って、いい会社に行って……という意味ですか。

工藤 昔はそれで上がりでした。ところが、今は上がりのない時代です。人生が長くなった。80年となると、それぞれのステージでどう生きるかを考える必要が出てくる。そういう人生設計、自分の生き方を描ける教育をしていかないといけないと思っています。

 私学の場合は組織が小さいので、校長なりが方針をより鮮明に打ち出し、実行することができる。その点、公立の場合は教育委員会が主導権を握ってコントロールしている。結局、教育委員会の指導というのは、セントラルキッチン方式で同じ味つけです。いまさらはやらないでしょう、店の名前は変えても味が同じですから。お好きな味を選ぶ力を保護者の皆さんはお持ちになった方がいいと思います。

――先生の持論で、教員資格を何とかしたほうがいいとおっしゃっていましたね。

工藤 それもあります。昔は教員免許状を持った先生には権威があった。ところが今は、大卒が珍しくない時代です。それだったら、もっと多くの人が自由に教壇に立てる可能性を作るべきだと思います。中教審の答申では、特別教員免許状は対象を広げるけれども期間を短くする方向であったように思います。

 ただ、先ほど触れた情報の科目など、20代で免許状を取った人が50歳、60歳まで最先端を走れるかというと結構きついです。むしろ絶対、最先端にいる人が教えて、バトンをつないでいくように変わっていくという側面を併せもたないと厳しいと思います。

 もう一つの懸念は、日本の高校の教育が貧相になっていることです。小中や大学に比べて、高校の教育の議論が置いていかれていると僕は思っています。教育問題も教育課程も、審議するのは義務教育である小中学校が中心です。

 高校の教育には、大学で学ぶ専門課程の要素を入れてより連携させていかなければいけないのに、それができていない。高大の連携について大学側の専門課程の先生方により提言をしていただき、変革してほしいと思っています。

※第3回(3月10日公開予定)に続く