「患者さんたちに、院内の案内図を見てもらったときのことです。我々の考えとしては、この部屋はどういう部屋であるとか、いろいろな情報を書いた方がわかりやすいと思っていました。ところが目の見えづらい方々は、『シンプルに、自分たち患者が行くべき場所だけ書いてあればいい。行った先には職員さんがいるから、そこから先は職員さんに誘導してもらえるから大丈夫』と。ああそうなんだと気づかされました。私の想像とは全く違ったものが、彼らのニーズだったことは貴重な発見でした」

 結果、井上医師が初代院長となって2006年にオープンしたお茶の水・井上眼科クリニックでは、患者の安心・安全や利便性が向上したのはもちろん、職員の負担もかなり軽減することができた。

「以前は職員が患者さんを一人ずつ誘導していたのですが、新クリニックでは、多くの患者さんが自力で目的の場所にたどり着けるようになりました。職員も時間的・精神的にゆとりができて、それまで以上に、患者さんに優しく接することができるようになったと言っています」

研修医時代の患者との対話から
医師として大切なことを学んだ

 1881年(明治14年)創立、今年で140年の歴史を持つ眼科専門病院の跡取りとして生まれた井上医師は、ごく自然な流れで眼科医になった。

「代々続く眼科医の息子として親の背中を見て育ちましたので、自分は将来眼科医になるんだと、ずっと思っていました。もちろん10代の頃には、ブラックジャックじゃないですけど、手術の腕を磨いて自分にしかできない難手術で人命を救えるような医者を目指すのもカッコいいなぁと(笑)考えたこともありましたが、最終的には眼科医の方に行きました。

 医学部の研修でいろいろな科を回った際に改めて、『眼科医っていいなぁ』と思ったことを覚えています。手術が終わると、患者さんが『目が見えるようになった』と非常に喜んでくださるんですよね。胸を打たれました」

 千葉大学の医学部を卒業した後は、東京大学の眼科に入局した。

「最初は上の先生について、先生の患者さんを診るのが私の仕事であり、勉強でした。上の先生はとにかく忙しいので、あまり患者さんの話を聞いてあげる時間がない。でも私たち研修医には、患者さんとよく話をしなさいと言っていました。話しかけると、入院患者さんは喜んで、いろいろな話をしてくれましたね。

 病気のつらさとか、人生の喜びとか、患者さんには本当に学ばせてもらったと思っています。研修医時代の大きな収穫です。

 うちの病院にも研修医の先生がいらしていますが、なるべく患者さん、特に入院している患者さんといろいろお話をして、いろいろなことを感じてくださいと言っています。

 私も忙しくなって、今では患者さんとは医学的な話以外をする機会が減ってしまいましたが、医師にとって、患者さんの気持ちを知る体験は非常に貴重だと思います」