アスリート出身の政治家任せでは越えられない産業化の壁

 スポーツビジネスは、あらゆる段階で行政の壁にぶつかります。最たるものがアリーナやスタジアムといった施設整備です。米国では、行政がアリーナやスタジアムを新設して、地域活性化のためにプロスポーツチームを誘致するケースが数多くあります。しかし、日本ではそうしたケースはまれなことで、施設を自らの手で造る資金力のある親会社を持ったチームを除けば、地域との懸け橋になる「マイホーム」すら所有できていないチームだらけです。

 親会社に依存することで成立している日本のプロスポーツは、まだ産業化の初期段階といえます。国が目標に掲げる「スポーツの産業化」を成立させ、スポーツの力を世の中に役立てようと思ったら、政治を動かすことが必要です。今のように、政争の具としてスポーツが利用されているようでは、スポーツをアフターコロナの地域活性化に最大活用することは到底望めません。東京五輪の開催に大きな疑問が投げ掛けられ、多くのスポーツで無観客のゲームが続いている今、スポーツの価値を政治の側にいる人たちに実感させながら、社会資産として活用する道筋を誰かが示さなければなりません。

 誰もやらないのなら、私が自ら示してもいいとすら思っています。アスリート出身の政治家は何人もいますが、持てる力を発揮できているとは言い難いのが現状でしょう。政治の中ではスポーツもアスリート出身者も、派閥争いや党利党略の歯車でしかないように私には見えてなりません。それだけスポーツの価値が政治のど真ん中で理解されることが難しいのだと思います。もう一つ、スポーツ経営の経験がある人が政治の世界にいないことも、スポーツが政治課題化しない理由だと思います。スポーツを「絆」や「夢」といった耳触りのいい言葉と絡ませ、人気取りにしか使えない政治家に、スポーツビジネスを戦略的に成長させ、それを都市づくりや人々の豊かな生活に役立てていくという発想はありません。結果、オリンピック・パラリンピックのような巨大な大会のみが、スポーツと政治ががっちり結び付いたかのように見える唯一の機会となってしまっています。そしてその巨大国家事業においても、普通の政治家はおろか、アスリート出身の政治家からも、抽象的な意義しか聞こえてきません。コロナ禍からの経済回復にどのように資するものなのか、地域においてどのような商機につなげていけばいいのかなどは、まったくもって議論されていないように思います。