藤田 その「花職人」というワードが、ある種のモヤモヤを招いているわけです。著者としては複雑な心境かもしれませんが、編集者の目線からすると、ここがすごく面白いなと思っていて。念のため、該当箇所を引用しておきましょう。

「世の中には、アーティストとして生きる人がいる一方、タネや根のない“花だけ”をつくる人たちがいます。彼らを『花職人』と呼ぶことにしましょう。花職人がアーティストと決定的に違うのは、気づかないうちに『他人が定めたゴール』に向かって手を動かしているという点です。彼らは、先人が生み出した花づくりの技術や花の知識を得るために、長い期間にわたって訓練を受けます。学校を卒業するとそれらを改善・改良し、再生産するために勤勉に働きはじめます」(末永幸歩『13歳からのアート思考』より)

末永 藤田さんはどうしてこういうリアクションが起きているんだと思いますか?

藤田 もちろん「花職人」という表現にマイナス感情を抱いているのは、「自分はアーティストではなく、花職人だ」という自覚がある人だと思います。たとえば、「自分がやりたいことは我慢して、他人の要求を満たしながら、慎ましく生きていけばいいんだ!」と考えて生きている人からすると、ここの文脈はモヤモヤするはずです。率直に言って不愉快だという人もいるでしょう。末永さんにまったくその意図がなくても、自分の生き方を否定されたように誤解する人すらいるかもしれません。

末永 なるほど。もちろん、私としては「花職人」の生き方がダメだと言うつもりはまったくなかったんですが……。

藤田 そうですよね。でも、本書のテキストは一方で、ものすごいエネルギーを持っています。「自分だけの答えをつくりましょう!」というメッセージには説得力があるし、読み終えたときには「自分もアーティストとして生きてみたい!」という強い上昇気流が心の中に生まれてくる。僕自身もそうでした。

 でも、現実の強い磁場のなかで生きている人は、同時に、これまでの日常に引き戻そうとするものすごい力を感じるはずです。その結果、大空に引き上げる力と地面に引きずり下ろす力によって引き裂かれる。「自分だけの答えをつくってみたい!」という上に引っ張り上げる力と、現実の「そうは言っても我慢して生きていこうよ」という力の間の緊張関係こそが、「花職人」という言葉へのストレスの正体なのだいうのが僕の仮説です。

末永 そんなにしっかり分析してくださっていたとは……驚きました。

藤田 正直、「花職人」に引っかかる感じは、僕もすごくよくわかるんです。編集者というのは、ある意味では「他人」の原稿をお預かりして、それを形にする仕事なわけで、典型的な「花職人」そのものだと言えなくもないですから。

「『花職人ではなくアーティストとして生きましょう』という他人のメッセージを編集している自分ってなんなんだろう……」というモヤモヤは、この本をつくっているときから感じていて、その自己矛盾についてはずっと考えてきました。

藤田 悠(ふじた・ゆう)

編集者/ダイヤモンド社 書籍編集局 第二編集部 副編集長

「自分がやりたいことをやれ」と言われてモヤモヤするワケ

京都大学大学院修了。同博士課程、日本学術振興会特別研究員などを経て、書籍編集者に。2014年より現職。
企画・編集を担当した『13歳からのアート思考』が16万部超のベストセラーに。そのほかの担当書に『ダブルハーベスト』(堀田創・尾原和啓)、『知覚力を磨く』(神田房枝)、『直感と論理をつなぐ思考法』(佐宗邦威)、『最高の休息法』(久賀谷亮)など。「人が変わってしまうコンテンツをつくる」がモットー。