「アーティスト」と「花職人」は
自分の中の比率の話

藤田 佐俣アンリさんとの対談のときに、末永さんご自身が「花職人」の問題についてどんなことを語ったかは覚えていらっしゃいますか?

末永 はい、「たとえ外部から与えられた職人的な仕事でも、そこに自分の違和感や興味を織り交ぜることで、アーティストとして仕事ができる」というような話をしたと記憶しています。

藤田 そうでしたね。それはそれですごく納得感がありました。実際、編集者の仕事でも、いろいろな工夫の余地はありますし、企画を立てるときにも「内発的な関心」からスタートするケースはあります。たとえ上司から振られた企画だとしても、そこに一定の面白さを見出していくことはできるはずですからね。

 他方で、僕自身がたどり着いた答えは、それともちょっと違っていて、結局「アーティストと花職人」は役割として完全に分かれているわけではなく、一個人の中に「アーティスト的な要素」と「花職人的な要素」が共存しているのだと考えています。

 個人個人でその時々の比率は異なっていて、「100%アーティストの人」もいないし、「100%花職人」の人もいない。そのベストバランスは個人によって違っていて、アーティストの比率が高いほうが心地いい人もいれば、職人の比率が高いほうが快適な人もいる。誰もが無理に「100%アーティスト」になる必要はなくて、アート思考というのは自分なりの「アーティスト:花職人」のベストバランスを探すための方法論なんだと思っています。

末永 面白いですね! 藤田さんの考えが聞けてよかったです。

藤田 現状がそのベストバランスから離れているのであれば、そこをチューニングするために何かしら行動を起こす必要はある。

「自分のやりたいことをやるべきだ」と言われたときにモヤモヤを感じるならば、それは自分のなかの「アーティスト:花職人」のバランスが崩れているシグナルなのかもしれません。自分自身のベストな比率を確かめるために、「アーティスト」と「花職人」という概念装置はすごく有効ですし、その意味でやはり「花職人」という表現には意味があったと思いますね。

末永 藤田さんがそういう答えを見つけるに至ったのは、どういうプロセスをたどったからなんでしょう?

「自分がやりたいことをやれ」と言われてモヤモヤするワケ

藤田 それは末永さんと一緒に企業研修などに登壇させていただいてからですね。僕からすると、末永さんは「アーティスト」というイメージだったんですが、同時に「教師」としての末永さんを舞台裏から拝見するうちに、同時に「職人」としての横顔が見えてきました。

 末永さんの講座や授業を何度か拝見して、「教師って、こんなに毎回同じ話をしなきゃいけないのか、すごい大変だな」と思いました(笑)。それにもかかわらず、授業が終わってから末永さんが「この部分はちょっと伝え方がよくなかった」と反省して、改善を繰り返されているのを見ると、「末永さんのほうがよっぽど職人気質なのかもな……」なんて思ったんです。それを整合的に説明するには、「アーティストと職人という区分は、個人の中での比率の問題だ」と考えるのがいちばんスッキリする。