ある少年事件を巡り、警察本部の少年課長(警視)が「一般論」として「相手が大けがするぐらい殴る蹴るできるやつは、どっかネジが飛んでんだよ」と頭を指さし、その上で「あいつらに必要なのは、厳罰でも更生でもない。治療だよ」とため息をついていた。

 筆者は全国紙社会部デスク時代、ある事件を担当していて、被害者の遺族を名乗る女性から電話で「(被害者の)名前も顔写真も、プロフィールもさらされている。なぜ、犯人は匿名で守られなければならないのですか?」と詰問された。

「報道機関として真実を伝える義務」「少年法の理念」など、一般的に言われている大義名分を説明したが、頭の中で「何を言ってんだ、俺。そんなわけねぇだろ」と吐き気がした。

 筆者は記者時代、時間の許す限り刑事事件の法廷に足を運び、確定判決も閲覧してきた。その印象で感じるのは、少年に限らず犯罪者は「更生する可能性は限りなく薄く、再犯する」という事実だ。

 もちろん、筆者は前述の警部補のように「駆除すべき」とは考えていない。ただ問題は「人権派」といわれる法曹関係者らが、犯罪少年らを早期に社会へ放つことを要望し、その結果として凶悪犯罪が繰り返されているという事実を認識していることだ。

 極論すれば、人権派の方々は再犯の幇助(ほうじょ)犯、または共同共謀正犯とさえいえる。永山基準によると、殺人は3人以上ではないと死刑にならないとされる。単純に「人権」という観点からすると、被害者の生命は、加害者の3分の1以下の価値しかないということになる。

 冒頭「今回の法改正で、少年犯罪の減少や凶悪化の歯止めにつながるのか」と疑問を呈したが、筆者は今回の法改正は何の改善にもならないと確信している。もっと踏み込んで言えば、人権派を自称する法曹関係者に「あなた方が遺族を泣かせているのですよ」と伝えたい。