二つ目の「既得秩序に対するマインドの変化」は、令和の時代になっても、明らかに昭和の感覚を引きずっていた領域に風穴を開けたということである。それは、医療や教育、行政などの業界や団体、社会システムや、変化を拒んできたレガシーな保守層を揺るがした。閉じた天井に幾分でも穴をあけられたのであれば、今後の健全な社会進化の加速に期待してもよいのではないだろうか。

 そして、それらの期待を込めて、コロナとは何であったのか、という問いに対して「5年のジャンプ」であったと、僕は考えたい。コロナの1年が、これまでの5年分に相当する「マインドの変化」をわが国にもたらしたのだ。

 強制的に進化した社会では、3教科のアップデートも必要だ。このようにして、新たに求められるようになった「新教科」の特徴とは何か。

コロナ禍で「3教科」の領域に
起こった新たな変化とは?

 ウィズコロナ時代となり、法人が支配する時代から、個人の活動が活性化する時代に一気に進んだ。良くも悪くも、「ひとつ屋根の下」という会社生活が音を立てて崩れ、自分自身を見直す大きな契機になったからだ。

 もちろん、本当はそんなことは、法人も個人もずっと前から分かっていた。誰もがうすうす感じていたが、それが現実のものとなったということにすぎない。突如として変化が起きたというよりは、「マインドの変化が5年分加速した」ということなのである。個人の力で仕事をする「仕事のプロ」になると何が得られるかというと、純粋な仕事としての充実感だ。会社にいると、ともすれば課長よりも部長のほうが偉いというヒエラルキーが、そのまま「仕事の充実感」となってしまう。しかし、「仕事のプロ」の場合はそうではない。「社会に対して自分が何をなし得たか」が充実感となる。

 では、もし、進化圧が起きているにもかかわらず、「仕事のプロ」の道へ進まなかったらどうなるか。多くの場合、行き詰まり感を覚えることになるのではないか。安定していても、社会の変化の波には乗れず、いつまでも仕事の充実感は得られぬまま。「このままではいけないのではないか……」という焦燥感に駆られる可能性が高い。

「会社のプロ」から「仕事のプロ」への進化――これが、道徳(何を思い行動するか)の領域で起こった最大の変化だといえる。