「闇バカラ」に興じる現代日本の「貴族」たち

 席に着くと、Mは分厚い札束をチップに換えてゲームを始めた。

「ベット、お願いします」「(カードを配りながら)プレイヤー、バンカー、プレイヤー、バンカー……」「バンカーウイン」。

 落ち着き払ったディーラーの声、立ち居振る舞い。そこには、古くから西洋貴族の遊びとしてたしなまれてきたバカラが必然的に培ってきた格調と敷居の高さがにじみ出る。

 ゲームの合間には、ホール係が客からオーダーを聞いて回る。飲食物・タバコはすべて無料だ。メニューには、カレーライスから寿司、パフェまで用意されているが、そこにいた客の手元にあるのは、せいぜいサンドイッチやビール・ウィスキー程度だった。誰もが、空腹を満たすことなどよりも、ゲームの行方に心を奪われている。

 しばらく台の上を眺めていて気がつくのは、バカラ独特の作法である。

 例えば、「しぼり」と呼ばれるカードの開き方。伏せた状態で手元に配られたカードの下端2箇所を両手で持ちながら、自らの指で数字を隠しつつ、1センチほどカードをめくる。すると、その1センチに見えたカードの下端に記されたマークの数・位置によって、配られたカードの数が「しぼれる」(限定される)。数をしぼった時点で、望むカードであればカードを返し、もし望まないカードならば、ディーラーに戻す者もいれば、その場でカードを破り捨てる者もいる。

 もうひとつ、客の多くは「罫線」と呼ばれる紙に各回の勝敗を記入する。タテ8行程度、ヨコ長で縦横の罫線が引かれた用紙に、勝敗や出た数を記載してパターンを可視化し、古くから伝えられる勝利のセオリーとあわせて考えるためのものだという。

 しかし、客がいくら努力しようとも、バカラの結果を左右する確率自体はいずれも等しい“丁半博打”だ。どれだけ「しぼり」、傾向を読んだところで、勝負の行方は確率論的には何も変わらない。

 それでは、なぜ、「非科学的な作法」が残っているのか。Mは語る。

「もちろん、そういうのはやらない人はやらないですよ。ぼくも『しぼり』しかしません。でも、やる人はゲームの最中ずっとやってる。罫線にも細かく記録していく。中国の人と一緒に来たら、占いなんかに詳しい人で、どういう流れがあると勝てるのかとか教えてくれました。まあ、1枚のカードに賭けている額が膨大ですからね。それぞれのカードに命かけてるってことでしょう。あとは、儀式ですよね。『負けた時に納得するため』の。『やれることはすべてやった』っていうのと『こうやっていなかったから負けたのかも』っていうのがあれば納得するじゃないですか」

 競馬にせよパチンコにせよ、ギャンブルの多くは、傾向や攻略法などが巷に出回っており、ある程度、自らで運命をコントロールしうる範囲がある。しかし、バカラは、それらに比べてその範囲が非常に限られている。しかし、それにもかかわらず、運命を天に任せることなく、自らの手に引き戻すための「非科学的な作法」。

 それは、他のギャンブルと比しても、バカラが持つ異質な伝統と独特の雰囲気と相まって、現代日本の「貴族」たちの興奮と熱狂を煽りたて、たとえ一晩に数百万の金を失ってもふたたび通ってしまうほど彼らを魅了している。

「大使館カジノ」は「持つ者」と「持たざる者」の象徴

 現在、闇バカラ店は「都内だけでも40くらいはある」(M)。新宿がもっとも多く20件程度。銀座、渋谷、池袋、上野などの繁華街にもそれぞれ数件ずつ存在するという。もちろん、常に摘発や、それを避けるための閉店・移転を繰り返しているため、正確な数は誰にもわからない。

 Mの知人であり、カジノ経営に携わっていた経験を持つTは語る。

「多くの店が、少なくとも月売上3000万円。2000年代前半、景気がいいときには、月1億円以上売上げる店もざらだったみたいですよ。でも、ここ5年ほどでバカラ店の数自体だいぶ減った。警察の締付け強化で摘発されて消えていく店もあれば、経営が行き詰まって、収益は低くても、客にとって敷居も低いインターネットカジノや闇スロットへの“事業転換”をする店も多いんです」

 それでも闇バカラは消えない。

「やっぱり、賭博は商売としての旨みが大きい。これだけの少人数・小スペースで、何の仕入れも技術もなく毎晩ハンパない現金が落ちてくる。こんな商売が表社会で許されたら、みんなまともな事業の経営なんかしなくなりますよ。それでも許されぬことに手を出そうとする、手を出し続けられる人間がいるっていうことです」

「ぽっと出のバカラ屋やお飾りの経営者は摘発で消えても、その上にいる実質的な金主(キンシュ:カネの出し主)を当局は触れない。触れないような組織を作っているし、触ろうとしても、それなりに政治・財界に顔が利くような有力者が絡むこともある。ちょっとした特権階級の文化としては常にあるんです」

「こういう雑居ビルで隠れてやっている業態以外に、『大使館カジノ』と呼ばれるカジノもある。途上国の駐日大使館が『自国のPR』という建前で日本の富裕層向けにカジノを開くんです。大使館名義で用意されている物件の中にカジノをつくれば、捜査当局も触れられない。大使館の中ですから。外貨獲得にもなる。いずれにせよ、『待たざる者は永遠に持てず、持つ者はさらに持つ』。その象徴みたいなものです」

 改めて言うまでもなく、ギャンブルそのものは何も新しいものではない。大昔から存在し、それを権力が規制の対象としてきた。近代化以降、現在に至るまで、日本では刑法によって賭博を禁じられる一方で、競馬・競艇・オートレース、サッカーくじのような公営ギャンブルが整備され、あるいはパチンコ・パチスロのような「ギャンブル性を持つ業態」が、規制をかいくぐりながら社会の隅に存在し続けているのだ。