風俗店の事務所で偶然耳にした奇妙な会話

 本連載では、街の浄化と情報化の奇妙な共犯関係を度々取り上げてきたが、賭博全体にもその構造を見ることができる。

 たまたま取材で訪れた性風俗店経営者の事務所で、従業員のこんな会話が聞こえてきた。

「ハンデ出た?さすがに今日はいけるだろ」「いや、俺今年に入ってから、まだ1度しか負けてねーし。今週ダメなら、お前向いてねーんだから“野球”諦めたほういいんじゃねぇーか」。

 はじめのうちは、何を話しているのかわからなかった。「大の大人が“野球”の話を真剣にするなんて。“クサ野球”ってことでマリファナのことを隠語で話しているのか」などと考えてもみたが、どうやら違う。

 それが野球賭博の話だとわかったのは後日のこと。何がきっかけだったか、その経営者と話しをしていて、たまたまスポーツの話題になった時「今、“野球”流行ってるんですよ」と真相を明かされたのだった。

 野球賭博――。かつて、プロ野球選手自身が野球賭博に関与し、今でも日本プロ野球史最大の醜聞と呼ばれている「黒い霧事件」が起きたのは、1969年から1971年にかけてのこと。

 それは、2010年に起こった「琴光喜スキャンダル」をあげるまでもなく、現在に至るまで脈々と続いてきている。

 角界に「勝負の勘を鍛えるために相撲取りは博打やらなくちゃダメだ」などという風潮もあるというが、馬券を買ったりパチンコにでも行っていれば、誰かに見つかったところで咎められるものでもない。それにもかかわらず、彼らはあえて違法賭博を選んだ。

 野球賭博運営関係者のHは語る。

「野球賭博っていうのは、試合の勝敗とその点差を予想すればいいだけだから簡単なんだよね。他のギャンブルだと、何十、何百、ときには何千あるパターンの中から予想して選んだり、本を読んで攻略法を勉強したりするけど、その必要はない。複雑な決まりや細かい情報を押さえなくても、野球っていう、誰もが子どもの時から馴染んできた対象に賭けられる。ギャンブル初心者もすぐにやれるんだよ」

 賭ける額は、1試合1万円から。「巨人が勝つに10万円」「阪神が勝つに50万円」という具合だ。シーズン中は、ほぼ毎日、複数の試合が行われており、すべての試合が賭けの対象となる。チームの調子は新聞・テレビで逐一追いかけられ、選手の調子も常に変化している。そんな馴染みやすさが大きな魅力となっているのだ。

有名力士も虜にした野球賭博の巧妙な仕組み

 しかし、それだけでは、なぜ彼らが野球賭博に熱狂するのかという理由はわかりにくい。そこでキーワードとなるのが「ハンデ」だ。野球賭博の「ハンデ」は、競馬における「オッズ」の役割を果たす。

違法ギャンブルの現在 <br />闇に眠ったはずのカネと欲望の在り処「ハンデ」の連絡を行う携帯をもとに丁寧な解説も

 野球は、ある程度、その時点でのチームの力量差が見えやすいゲームでもある。例えば、シーズン中盤以降に連勝している1位のチームと負けがこんでいる最下位のチームが3連戦を行うとしたら、かなりの確率で1位のチームが2勝あるいは全勝する見通しがつく。

 これを賭けの対象として考えたときに、当然、大半が1位のチームに賭けることになり、賭け金が偏ってしまうため、賭け自体が成立しなくなってしまう。そこで、例え力量差があっても、どちらが勝つのかわからないすれすれの勝負に賭けを設定し、賭け金を分散させるとともに、参加者を賭けに煽りたてるために「ハンデ」は設けられる。

 細かい規則は複雑であるためここで深く触れることはしないが、例えば、巨人が好調な時期、仮に巨人に「1.3のハンデ」をつけた場合、「1.3巨人VS阪神」と表記される。この時、巨人に1万円を賭けた参加者は、巨人が2点差以上で勝利しなければ儲けることはできない。もし巨人が1点差で勝利したとしても、「1−1.3=−0.3」と計算され、巨人が勝利したにもかかわらず「3割負け」、すなわち3000円支払う必要が生じ、さらに1割の手数料として1000円を胴元に取られてしまうからだ。

 反対に、阪神が1点差で勝利した場合は「丸勝ち」と呼ばれ、掛け金の全額1万円分が払い戻され、掛け金の倍額から1割の手数料(2000円)を引いた金額、つまり1万8000円を受け取ることができる。

 ここで最大のポイントとされるのは、「その時どきによって絶妙なハンデをつけることで、チームの力量にかかわらずどちらに賭けるのがいいとも言えなくなり、参加者がより賭けに熱中する」状態が生まれているということだ。

「勝てるだろうけど、2点以上差をつけられるかな」「もし負けても1点差なら大丈夫だ」。この「ハンデ」が、賭博参加者の心理をかき乱し、一見力量差が明らかだと思える勝負すらをスレスレのギャンブルへと変える。

 この「ハンデ」の設定は、賭博を運営する組織の内部にいる「ハンデ師」と呼ばれる者が受け持つ。

「『ハンデ』次第で、どれだけ客をハマらせることができて、胴元が儲けられるかが決まるのは確かだよ。なかには、「あのピッチャーは腹が痛い」というように、マスコミとかプロ野球関係者しか知らないような情報まで加味して『ハンデ』を設定しているところまである」

「『ハンデ師』が『ハンデ』を公開するのは、試合開始の3時間前。『ハンデ師』を雇ってる胴元から各仲介者を通して客に『ハンデ』が届く。これ、昔は電話とかFAXでリレーして情報を伝えあってたんだけど、今は携帯メールが使われてる。だから、昔は一人の仲介者で受け持てる客の数も限界があったけど、今では100人とかも当たり前だよね」

「ハンデ」を見て賭ける試合・チームを決めた客は、「巨人10(巨人の勝利に10万円)」などと仲介者に返答して、この時点で賭けが成立する。そして、毎週月曜日になると、その前週分、つまり1週間前の月曜日から日曜日の間に賭けた試合の勝ち負けで動いた金額を相殺して、プラスであれば参加者は入金を受け、反対にマイナスの場合はその金額を入金する。

「胴元とか、どっぷり浸かっている仲介者は、何かあったときに足がつかないように、トバシ用(他人名義)のネット銀行の口座を使って受け渡しすることが多い。すべてのやり取りをメールとネット銀行でやっているから、大量の客を効率良く扱えるし、客の側も、心理的にも物理的にも負担感なく始められちゃうんだろうね」