重光経営を生み出した発想と決断を支えたものとは

 重光経営の手法に話を戻そう。重光は沈思黙考することを好んだ。もともとが寡黙なタイプだが、何か考え込むと徹夜してひたすらアイデアを探った。日本のロッテでは、マーケティングには自ら必ず関与していた。試食はもちろん、ネーミング、パッケージデザイン、セールスプロモーションなど、一貫して携わっている。

 新製品の場合、試作段階から重光は試食を繰り返し、最後に納得したらOKを出す。この点では絶対に妥協しなかった。重光がOKを出さず、発売日が延期や中止となった商品は少なくない。

 ヒット商品の一つに「雪見だいふく」がある。毎年11月くらいから定番品と異なるフレーバーの商品を出してきたが、ある年はセンター部分にイチゴジャムを入れることになっていた。ところが、このイチゴジャムの味が気に入らず、「誰が許可したんだ」と重光が怒り出したことがある。発売日も迫っており、すでに40トン、価格にして4000万円分のジャムが準備されていた。味を改良する過程でその一部は混ぜ込むことで使用できたが、準備したものの8割以上が廃棄となってしまった。

 それほど味へのこだわりは強かった。味覚の問題は難しい。重光が特別鋭敏な舌を持っていたというわけではない。むしろ、一般人の味覚から離れすぎると逆に良くない、1〜2段上の鋭さくらいがちょうどいいという意識もあったようだ。

 重光自身はかなり慎重な性格で、新規分野への進出の際には、徹底的に研究している。韓国でロッテが展開していたコンビニ「コリアセブン」の経営再建を託された“お雇い日本人”の本多利範は重光の決断の仕方をこのように語る。

「決めるときは静かでした。しつこくて、自分の中で自信ができるまで、何回も報告させたりするのは鈴木さん(敏文・セブン–イレブン元社長)に似ているところがある。決断した後は、『本多さん、それをお願いします』って静かに言う。部屋を出たとき、にこっとして(笑)」

 一発で決断という感じではないが、いざ打って出るときには大胆な発想と行動力で果敢に踏み切っている。その背景には何があったのだろうか。

 重光は生涯読書を好んだ。「できることなら、作家になりたい。それがダメなら、ペンで身を立てるジャーナリストに」(*3) という青雲の志を抱いて裸一貫で日本に渡った文学少年だった。社名の由来がゲーテの小説のヒロインの名前からということは有名である。こうした読書の蓄積が発想力の根底にあったことは容易に想像がつく。実際、カバンの中にはいつも数冊の本が入っていたという。

ロッテ重光の経営戦略の要諦、「消費者が買いたくなるような値打ちのある“サービス”を」名誉名人・二十五世本因坊の趙治勲(チョ・チフン)と歓談する晩年の重光武雄(2015年)

 もう一つ、本人は直接このことを語ってはいないが、子どもの頃から趣味として挙げていた囲碁も、経営者としての資質を磨くのに寄与したのではないかと思われる。

 囲碁とは陣取りゲームである。陣地のことを囲碁では「地」と呼ぶ。自分の石の色の地をどれだけ増やすか。加えて、「相手の石の四方を囲むと、その石が取れる」というルールに則って、攻撃を加える。序盤戦で、要所へ配置する石のことを布石という。最初に大まかに自分の陣地となりそうな境界域に石を置いていき、その後、緻密に詰めていく。

 では、どこで勝敗は決するのか。それは、効率性である。先手と後手は交互に石を打つが、地を確保する上でどれだけ効果的に置けたのかで結果が左右される。

 まさにこれはマーケットでのシェア争いであり、そのための布石と攻撃のやりかたが問われる企業経営そのものだ。これまでの連載で描いてきたガムやチョコなどの日本における製菓事業や、韓国でのホテル・デパートの観光・流通業などの新規事業参入や多角化、そしてそのための綿密な調査と大胆な巨額投資など、ことごとく成功を収めてきた重光経営の布石と攻撃に通じるものである。

 ただし、企業経営を囲碁に例えるなら、圧倒的優位にあったことを疑いようのない重光だったが、「終局」、いわゆるゲームセットを迎えることはなかった。囲碁は、「対局者の良識と相互信頼の精神に基づいて運用されなければならない」(*4)ゲームで 、信義則に基づくはずだが、重光は碁盤の前から突如引き離されてしまったからだ。果たしてゲームは終局したのか続いているのか、それとも無効(没収試合)となるのか。観戦者はただ唖然として見ているしかない。重光経営のフェイズとストラテジーはどうなってしまったのか、次の手が出るかどうかすらわからない状況で筆を置くのは、対局途中で無理矢理退場させられた重光と同じく、無念でならない。

*3   藤井勇『ロッテの秘密』こう書房、1979年
*4   日本囲碁規約日本棋院

<本文中敬称略>