「代表枠ではなく、世界一を狙いにいきます」に込められた思い

 こうして徐々に、楢崎選手は自分の本音と向き合い、自分をモチベートできるようになります。そして、2019年8月、クライミング世界選手権八王子大会を迎えました。2021年東京オリンピックの日本代表選考もかねた大一番です。

 苦しい練習にも、連戦に次ぐ連戦にも耐えてきたのは、オリンピック出場という悲願のためだったはずです。ところが、試合まえのインタビューで彼は次のように語りました。

「(オリンピックの)代表枠ではなく、世界一を狙いにいきます」

 自分の最も大切にしている価値観、「一番強いヤツが一番楽しい。そして強くなっている自分を楽しむ」ということ──。「世界一を狙いに」の一言に、この思いが込められていたのです。

 その言葉通り、彼は代表枠の争いにはフォーカスせずに、自分の価値観を心に刻んで試合に臨みました。これまでのように他の選手や結果にとらわれて緊張しすぎることもなく、自分のクライミングに集中し、強さを証明するがごとく、他を圧倒する過去最高のパフォーマンスをしたのです。その結果、「ボルダリング」と「複合」(スピード、ボルダリング、リードの3種目の総合点を競う)の2つで優勝し、東京オリンピック出場の切符も手にしました。

 その頃には、彼はメンタルコーチングによって自らの感情をコントロールできるようにもなっていました。

「2018年の悔しさを経てメンタルコーチングに本腰を入れて自分と向き合う時間を増やしたことが、すごく大きかったと思います。自分のことをいろいろな角度から俯瞰して、客観的に見られるようになりました。そのおかげで、本番でミスをしても、そのことにとらわれなくなって、焦りや怒りや不安といった感情が起きにくくなったのです。ようするに、終わった『過去』に振り回されないで、『今』に集中できるようになったんです」

 と、彼はこれまでのセッションで得たことを話してくれました。彼が世界選手権で結果を出すことができたのは、厳しい練習に耐えつづけ、技術を磨いてきたことの輝かしい成果であると同時に、心を整え、真の目的・目標に気づき、本番で力を存分に発揮できるようになったことが、大きかったのだと思います。