住友グループの結束の強さは、グループの中心に共通の精神的な支柱となる住友家の家長がいるからだといわれる。確かに、「緩やかな連携」を保つ三井グループ各社は、三井家について口にすることがほとんどない。三井家の事業の原点である「越後屋」開業350年を再来年に控えても、ある種ドライな関係を貫く。ただし、三井グループが冷めて見えるのには訳がある。特集『三井住友 名門「財閥」の野望』(全18回)の#15では、三井グループの根底に流れる“矜持”について探る。(ダイヤモンド編集部 新井美江子)
三井総領家の第12代当主、
現代の三井八郎右衞門を直撃
「三井八郎右衞門」――。いかにも物々しいこの名前は、かつて日本最大級の豪商として君臨した三井財閥の当主一族にとって、特別な名前だ。三井11家の筆頭である総領家、北家の当主が、代々名乗ってきた名前だからだ。
第12代の現当主も「八郎右衞門」を本名として襲名しており、国の公式文書を見ても確かにその名前が記されている。
しかし、現在の三井家は、世間からその存在を隠すかのように表舞台から遠ざかっている。旧三井財閥の事業を連綿と受け継ぐ三井グループの中核企業でさえも、三井家について口にすることはほとんどない。
それだけに、もはや三井家の栄華自体がファンタジーじみていて、八郎右衞門の名前の主が本当に実在するのかどうかも訝しく思えてくる。
都内の一等地。地下鉄の駅を出て、秋晴れの中、坂の多い閑静な住宅街を数分歩くと瀟洒なマンションが見えてきた。恐る恐るインターホンを押してみると、果たしてその人――現代の三井八郎右衞門はいた。
三井家の存在を通し、「ドライ」だと称される三井グループの関係性について、秘密を読み解いていこう。