三井住友 名門「財閥」の野望#13Photo:JIJI

旧住友銀行と旧さくら銀行の合併の余波をいち早く受けたのが、同じ金融業界の損保だった。当時の銀行首脳と連携しながら統合を成功させた損保と、たもとを分かった生保。運命を分けた違いは何か。特集『三井住友 名門「財閥」の野望』(全18回)の#13で、保険業界の激動の20年史を振り返る。(ダイヤモンド編集部 片田江康男)

金融業界に流れていた
生・損保大統合の空気

 三井と住友の両グループ企業は、同業種で雪崩を打つように経営統合が進む――。

 1999年10月に旧住友銀行と三井系の旧さくら銀行が経営統合を発表した当時、経済界はそんな空気に支配されていた。経営史を研究する学者の間でも、三井・住友の両財閥が完全に一つになるという未来予想図が盛んに語られていたという。

 その発露が2001年10月6日付の「朝日新聞」から読み取れる。

2001年10月6日(土)の朝日新聞朝刊2001年10月6日(土)の朝日新聞朝刊 Photo by Yasuo Katatae

「住友・三井生命 統合へ」

 記事には、両社は「生保特有の形態である相互会社から、株式会社へと組織変更し、将来は共同で設立する持ち株会社の傘下に入る方向とみられる」と書かれている。

 結局、旧三井生命保険と住友生命保険が経営統合することはなかった。だが、こうした記事が出るのも無理はなかったことかもしれない。

 というのも、銀行の経営統合発表に続き、2000年10月には三井海上火災保険と住友海上火災保険の合併が発表されていた。銀行、損保と続けば、次に生保と考えるのは自然な流れだ。当時の金融業界は、それほど濃密な統合の空気が支配していたというわけだ。

「土曜日にもかかわらず本社に幹部が集まって対応を協議したのを覚えている。当時は生保も統合するのが既定路線だと思われていた」。元三井生命幹部は当時を振り返る。

 だがなぜ、生保は統合への道を歩まず、損保は統合へと踏み切ったのか。当時の両業界が置かれた環境を整理しながら、知られざる20年の保険史を振り返っていこう。