源平がしのぎを削ったその勃興期、一対一で相まみえることが原則だった武士の戦い。しかし蒙古襲来、鉄砲伝来などの新しい風を受けて、合戦は集団対集団の形態に移行。雑兵・足軽を重用する戦術や陣形が練り上げられていった。その用兵の極意とはいかなるものだったのか? 週刊朝日ムック『歴史道別冊SPECIAL 戦国最強家臣団の真実』では勝つための「陣形」と「戦術」を大研究。ここでは、奇襲作戦について論じる。
ふつう合戦は「兵多きが勝つ」といわれている。軍勢の数が多ければ、それだけ有利だからで、戦国武将たちも、そのために、いかに家臣団を増やすかに腐心することになる。
とはいえ、いつも、自分の方が有利な状態で戦いに臨めるとは限らない。少ない人数で大軍に当らなければならない場面に直面することもある。
少ない軍勢で大軍を破った戦いとして一番有名なのが、永禄三年(1560)五月十九日の桶狭間の戦いであろう。僅か2000の織田信長が2万5000の大軍を率いる今川義元を破った戦いである。