「支配される側」だった漢民族が最強となった二つの理由

 初めて中国が統一されたのは紀元前3世紀の秦の時代。万里の長城を築いたことで知られる始皇帝が興した秦はわずか15年で滅び、楚の項羽と漢の劉邦が争って劉邦が勝利し、漢王朝ができた……この辺りは、幾多の小説や漫画、ゲームでよく知られているところ。

 前漢と後漢をあわせて400年も続いた漢王朝の時代に高度な文化が発達し、この文化を担った人々を中心に漢民族と呼ばれるようになりました。

 次の晋王朝の皇帝も漢民族でしたが、その後は漢民族以外の出自とされる皇帝による隋、唐、宋、元が続きます(皇帝の出自については諸説あり)。

 14世紀に漢民族による明王朝となりますが、最後の王朝・清の皇帝は女真族(満州族)でした。つまり、住民の多数である漢民族は、長い間、他民族の血統も入っているといわれる皇帝に支配されてきたのです。

 ところが、結果的に支配者である他民族のほうが、被支配者である漢民族に同化していくというのが興味深いところです。支配されることも多かった漢民族が、なぜ、今日まで中国の中心なのでしょう? 以下の二つの理由が考えられます。

1.数の力

 圧倒的に人口が多い。これが漢民族が中国の中心であり続けたシンプルかつ強力な理由です。現在、世界全人口の2割近いとされる漢民族は、秦、漢の時代は6000万人ほど。その後、他民族の支配で増減を繰り返していましたが、18世紀の終わりには2億人に達します。

 19世紀になり、清の支配下で国内が安定し、食糧事情が良くなると、4億人を突破。現在は中国、台湾、シンガポールを中心におよそ14億人の漢民族がいるとされています。

2.漢字の力

 漢民族が作り出した「漢字」は、公式文書に用いられ、文化を形成してきました。

『老子』など現代に残る優れた思想書、李白、杜甫など数々の詩人が詠んだ詩歌、インドから移入され中国で翻訳された仏教の経典はどれも漢字で書かれていますし、政治の中枢たる官僚になるための最難関のテスト「科挙」では、どんな皇帝の治世であろうと、漢文のスキルが必須でした。

 彼らが残した政治的な文書はすべて漢字で記録されています。「文化人、政治家、権力者はみな、漢字ありき」――これが中国の歴代王朝の「当たり前」でした。

 もちろん領土が広大ですから、庶民の話し言葉には地方差がありました。今も北京語と広東語はかなり違う言葉です。

 しかし、書き言葉は昔から漢文で共通しており、どの地方の人でも漢字は読めます。宗教的なものではないとはいえ、圧倒的な「共通語」として機能した漢字による漢文は、コーランが書かれたアラビア語、さらに先にお話ししたラテン語と言語としての立ち位置がどこか似ています。

 漢字という文化的・言語的な最強ツールを持っていたのは、漢民族が中心であり続けた大きな理由です。