「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の”根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも”民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
「ハンガリーはアジア系、東ヨーロッパの国」は時として地雷に
ハンガリーの86%はウラル語族のマジャール語(ハンガリー語)を話すマジャール人(ハンガリー人)。ヨーロッパとアジアを隔てるウラル山脈周辺にいた人々の子孫だといわれています。
そのため、日本のビジネスパーソンが口にしがちなのは「ハンガリーって、アジア系ですね」という言葉です。世界史の教科書にも載っていますし、ハンガリーはアジアと同じく姓が先、名が後で名乗るのも、なんだか親近感が湧くのでしょう。
また、私の友人で日本語ができるハンガリー人によれば、日本語の「水」はハンガリー語で「ヴィース」、日本語の「塩」はハンガリー語で「ショ」。共通点があるようです。
「言葉が似ていて興味深いし、われわれマジャールはアジアにルーツがあると僕は思っているよ」と彼はいいますが、これは日本に長く住んでいて、日本贔屓なハンガリー人の意見です。
ビジネスでたまたまやりとりしたハンガリー人に対して、「私たちは同じアジア系ですね」と迂闊にいうと、地雷になる危険があります。私が考えるその根拠は次の三つ。
第一に、ウラル山脈周辺がそもそもアジアかという問題。モスクワよりも東ではありますが、どちらかといえばヨーロッパです。
第二に、ハンガリー人がウラルあたりにいたのは9世紀頃だということ。1000年以上前にヨーロッパに移動しているわけで、自己認識としても実質的にもハンガリー人は紛れもなくヨーロッパ人でしょう。ヨーロッパ人としてのプライドもあります。
第三に、ハンガリーにはかつてのヨーロッパの大国というプライドもあるということ。「アジアじゃないならハンガリーは東ヨーロッパですよね」というのもアウトです。
なぜなら彼らは、かつてヨーロッパを席巻したオーストリア=ハンガリー帝国の末裔。東ヨーロッパよりも、ドイツやオーストリアに親近感があります。東ヨーロッパの多くの国と違ってスラブ系でないところから、感覚としてはオーストリアやドイツに近いようです。
しかし、その近さゆえに第一次世界大戦ではドイツ側について敗戦国となり、第二次世界大戦ではオーストリア同様、ナチス・ドイツに協力して歴史に汚点を残しました。
敗戦国となったことで戦後は旧ソ連が牛耳る共産主義国になりますが、「ロシアなんか大嫌い、我々はスラブ人ではないし、東ヨーロッパにある衛星国の一員だと思われるなんてとんでもない!」というのが彼らの本音です。「旧ソ連の支配が終わり、ようやく元のヨーロッパに戻れた」という感覚なのです。
このあたりのコンテクストを理解せずに「アジアの仲間」「東ヨーロッパなのでロシアなどスラブ系に親和性がある」と無邪気にいってしまうと、「ものを知らない人だ」と距離を置かれてしまいます。
一方で、親日家がいるのも事実ですから、相手をよく見て発言することをお勧めします。
非スラブであることからハンガリーにこだわった民族主義的な政治家も多く、「在外ハンガリー人にも選挙権を!」という主張もあります。
在外ハンガリー人は世界に200万人以上いるとされますが、140万人もいるルーマニア国籍のハンガリー人が、ハンガリーの選挙権を持つとなると、国際政治には大きな影響があります。今後、民族問題になりかねない緊張関係にあるといっていいでしょう。
また、ハンガリーの民族問題で忘れてはならないのは、現在のインドから15世紀以降に移住してきたロマの人々です。
ジプシーと呼ばれてきたので、放浪者などといった偏見がありますが、現在は定住者も多くなりました(ロマの人々はルーマニアやブルガリアにも多数居住しています)。
ロマが登場する芸術作品は多数ありますが、一つ挙げるとすれば、ビゼー作のオペラ「カルメン」でしょう。舞台はスペインですが、差別や偏見のなかでロマの誇りを失わない主人公カルメンの姿が描かれています。