1945年、第2次世界大戦が終わり、米ソ冷戦により世界は米国資本主義陣営とソ連共産主義陣営に分かれて争うことになった。二つの陣営の境界線になったドイツは、米国陣営の西ドイツ、ソ連陣営の東ドイツに分断された。

 しかし、1985年にゴルバチョフが登場すると雰囲気は一変。

 ソ連式の限界を悟った彼が、経済、政治、言論の自由化を一気に進めたことで、ソ連とその衛星国群だった東欧に「自由の風」が吹き始めた。

 1989年、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊。その後、「東欧民主化革命」が起こるが、ソ連はこれを黙認している。そして1990年には「東西ドイツを再統一しよう」という機運が高まっていった。

 東ドイツは当時ソ連の勢力圏にあったため、米国はゴルバチョフに「東西ドイツ統一を許可するか」と尋ねた。

 これに対し、ゴルバチョフは許可のための一つの条件を提示した。

「NATOを統一ドイツより東に拡大しないこと」だ。

 そして米政府は、それを快諾した。

 その後、1991年12月にソ連が崩壊し、冷戦が終結。

 新生ロシアの時代がはじまると、米国はゴルバチョフとの約束をあっさり破った。

 1999年、東欧のチェコ、ハンガリー、ポーランドがNATOに加盟した。

 3国は、かつてロシア(ソ連)の勢力圏にあった国々だ。

 ロシアは、大きな衝撃を受けた。