「会長のご指示」のクビ宣告を無視
居座り続ける佃と小林を庇う昭夫

 佃と小林、そして昭夫が仕掛けた宏之追放劇は、あまりにもあっけない幕引きとなった。“神様”である武雄によって、小林は迷い込んだ野良犬のように追い払われ、佃は苦しい弁明を喝破された上に、昭夫との共謀について口を滑らせてしまった。昭夫も、息子としても、後継候補としても武雄から見捨てられたことくらいは感じ取れたことだろう。

 結局、佃は解任となり、翌日には腹心の小林を解任する文書にも署名がなされた。これで、クーデターは未遂に終わり、ロッテに再び平和が訪れるはずだった。

 ところが、である。佃が、「長い間お世話になりました」と頭を下げて武雄にお別れを告げたのが金曜日だったが、週明けの月曜日には何事もなかったかのように出社した。辞職に伴う残務整理をするためではなく、クビになったことなど素知らぬ顔でいつもの社長業務を始めたのである。小林も同様だった。宏之の解職・解任では「会長のご指示」を錦の御旗に掲げながら、自身への「解雇宣告」には知らぬ存ぜぬを決め込んだのだ。

 その理由について佃は、後の武雄との裁判でこう証言している。

「定例の報告を始めようと思ったんですが、表情等、全く平素とは違いまして、目がつり上がり、お顔が真っ赤になっており、通常とは思えませんでした。(略)全て原告の了承を得てやっていることでございましたけれども、全く聞く耳をもたず、また、書類にてご説明しようと思っても、破らんばかりの暴挙でございました。このときをもって、会長には通常の御判断能力がもうないというふうに判断した次第でございます」

 しかし「会長に通常の判断能力がない」と断言しているにもかかわらず、佃は武雄が辞任するよう指示した際にはその場で了承し、感謝の弁まで述べている。なぜ佃は武雄の指示に従ったのだろうか。

「そのときの状況はまことに異常でございまして、私が私の主張を続けておりますれば、原告の体に異変が起こるのではないかというような状況がございました。私はその場で、その場をいなすために『わかりました』と答えました」

(佃の発言はいずれも、重光武雄を原告とする東京地方裁判所「取締役会決議無効確認等請求事件」での2017年1月26日、佃孝之証人調書)

 佃が武雄のクビ宣告に従ったのは、言動が異常な武雄の身をおもんぱかったからだと主張しているのである。これは「盗っ人猛々しい」と「厚顔無恥」、どちらの表現がふさわしいか悩むところである。ボイスレコーダーの記録を見れば、相手をおもんぱかって事を進めたのが誰かは明白である。

 ただ、こうした記録が明らかにされるのは後の裁判のことで、とにもかくにも佃と小林は解雇宣告を無視し、取締役の座に居座り続けるのである。

 かたや昭夫も、武雄に命じられた佃や小林の退職や、宏之の取締役副会長職への復職などの原状回復を取締役会に諮ろうとしない。しかも“査問会”に前後して、昭夫は「ロッテの新たなリーダー」として大々的に韓国のメディアで報じられ始めた。よもや“査問会”で糾弾されるとは思わず、テレビや新聞などのメディアを集めては「日韓、ワンロッテ・ワンリーダー」、つまり「我こそがロッテの新しいリーダーであり、日韓のロッテは一体である」と喧伝していたからだろう。

 この昭夫の言動に武雄は再び激怒する。そもそもロッテグループは、宏之が日本事業、昭夫が韓国事業を担う「ツーロッテ」であり、それを統括するリーダーが武雄である。昭夫が自称する「ワンロッテ・ワンリーダー」は宏之の日本事業を奪い、昭夫が武雄に取って代わるという「クーデター宣言」に他ならない。そして、武雄が切って捨てた、佃や小林を擁護するのもまた武雄に反旗を翻すのと同じである。ロッテHDの副会長である昭夫が会長の武雄に取って代わったかのごとく振るまうのだから武雄の怒りと嘆きは収まることはなかった。

「あいつは自分勝手に会長をやっている。うちの子どもでも、なんでも勝手にやることは許さない。うちの子どもたちももう少ししっかりしてくれないと困るんだ」(「ロッテの経営正常化を求める会」のインタビューでの武雄の発言)

 武雄・宏之親子と昭夫・佃・小林のクーデタートリオとの再衝突は、もはや不可避の状況を迎えつつあった。次回は、武雄が昭夫に引導を渡す親子の決別の内幕と、創業オーナーの父親さえロッテグループから追放してしまう昭夫の冷酷な謀略を紹介しよう。

<本文中敬称略>