多様な若者が集まり
流行の発信地に

 渋谷パルコは「女は明日に燃えるのです」などの印象深いキャッチコピーやポスターを採用し、奇抜なメディア展開で集客につなげていた。それらは「まちの演出が目的ではなく、あくまでビジネス戦略だった」と鳴海氏は分析する。

「当時の渋谷パルコのターゲット層は、近隣の私立大学や有名私立高校に通う富裕層。テナントには高価格帯のDCブランドを入れ、PARCO劇場を開業するなど、ハイソサエティな若者が訪れる商業施設でした。また、ライバルの東急百貨店本店も、開業時から今に至るまでハイソサエティがターゲット。むしろ東急には、渋谷を大人の街にするという狙いがありました」

 パルコや東急を訪れる客層は合致していたものの、若者たちは渋谷でさまざまな消費をした。彼らは渋谷で食事をして、クラブやライブハウスに通い、映画を見る……その多様な消費行動によって「渋谷系」と呼ばれる音楽ジャンルやストリートファッション、ミニシアターブームなど、独特な若者のカルチャーが誕生したという。

「多様な消費は、訪れる人の間口も広げます。90年代になると、ハイソサエティ層だけでなく、チーマーやギャルなどの若者が渋谷にあふれました。彼らが集まっていたのは、渋谷センター街(現・バスケットボールストリート)です。センター街に集まる若者の消費力は低く、パルコや東急本店のターゲット層とは正反対。渋谷は東急が想定していなかった形の“若者の街”として成長したんです」

 そして、生み出された渋谷のカルチャーがメディアに取り上げられ、渋谷=流行の発信地というイメージが全国に広まったという。

「ギャル文化をけん引した『109』も、1979年の開業当初は20~30代女性向けの商品を扱うファッションビルでした。しかし、バブル崩壊を機に方針を変え、客単価は低くてもお金を落とす10代後半などの女性向けのテナントを充実させました。マルキューで働くカリスマ店員が話題になったのもこの頃ですね」

 カリスマ店員に会うため、全国の女子高生が109に訪れる光景を覚えている読者も多いだろう。特に90年代は、目の前の不況を乗り切るための戦略を取る企業が多かったという。