SNSの「頑張らなくてもいい」という言葉は、条件付き

最近、「頑張らなくてもいい」という言葉をよく耳にする。私自身も、そういう言葉に救われることも多々あるけれど、その一方で、どうしても、一種の危うさみたいなものを感じてしまう。

「頑張らなくてもいい」という言葉は、条件付きであることが多いからだ。

(自殺したくなるくらい辛いときは一度仕事を休んで今は)頑張らなくてもいいんだよ、(だから、また元気になったら頑張ろうね)。

みたいな。

「頑張らなくていいよ」というのは本来、真面目で頑張りすぎた人が限界を超えて倒れそうになったときのための言葉であって、新入社員のようにまだ何のスキルもない(スキルを磨くための努力もまだ何もしていない)人が受け取るべき言葉じゃないと思うのだ。

今目先の幸せばかりにとらわれて、将来の彼らがどうなるかもわからないのに、「頑張らなくていいよ」なんて、私は怖くて言えないなあ、とつい、思ってしまう。

人はどうしても、甘い言葉に惹かれてしまう。

入社1年目でうまくいかないこともあるだろう。当然だ。まだ社会人になったばかりなんだから、いきなり全部のことが完璧にできるわけはない。同期と比較して焦ることもあるだろう。自分に対する不甲斐なさや焦りがないまぜになって不安が爆発した結果、たとえその不安が正当なものであり、人間が成長する上で誰もが当たり前のように抱く感情だったとしても、そんなときにふと目にした「頑張らなくていいよ」という言葉に、つい依存したくなってしまう人もきっと多いだろう。

でも、その「頑張らなくていいよ」は、本当にその人のことを思った「頑張らなくていいよ」なのだろうか。バズるための「頑張らなくていいよ」も、あるんじゃないか?