自国の観光客を甘やかしすぎ
傍若無人な振る舞いに終止符を

「旅の恥はかき捨て」という言葉の本来の意味はこうだ。その土地にはそこにしかない風習や文化があり、旅人はそれを知らないので、行く先々で恥をかくこともある。でも、旅というのはそういうものなので、そんなに気に病むものではない、というものだ。実際、「Weblio辞書」の中にはこう解説されている。

<旅先で恥をかいても、それをネタに後々まで馬鹿にされるようなことにはならないので、その場かぎりと思って忘れるがよい、という意味合いのことわざ>

 しかし、今多くの人は「旅の恥はかき捨て」というのは、これまで本稿で述べてきたように、旅先では誰も知らないから少しくらい非常識なことをしても大丈夫、というような意味だと解釈をしている。

 つまり、「お客様は神様です」とまったく同じで、観光する側がサービス提供側に対して、非常に優位な立場にいて、傍若無人に振る舞ってもいいというような「免罪符」的な意味合いに変えられてしまったのだ。

 モンスタークレーマーのような問題が増えていることからもわかるように、日本は「客」を甘やかし過ぎてきた。観光も同じで、これまで「無料」や「安くてうまい」で観光客をチヤホヤしてきた。それが「旅の恥はかき捨て」という伝統的倫理観を持つ一部の日本人観光客をつけあがらせてきたのではないか。

 近年、外国人観光客が増えていたので、ゴミ問題など観光地のトラブルはすべて彼らのせいという風潮があった。それがコロナ禍で外国人観光客が消えてしまったことで、罪をなすりつける相手がないので、これまで目立たなかった日本人観光客の「悪行」が一気に表面化してきている。

 裏を返せば、外国人観光客の受け入れを再開したら、またこの問題は「マナーの悪い外国人が悪い」という話にすり替えてウヤムヤにされるということだ。

 そういう意味では今がチャンスだ。観光公害はマナーやモラル、そして民度などの精神論で解決できるものではない、という現実としっかり向き合う。そして、世界の観光地を見習って、有料化やペナルティなど観光客側にも一定の負担があるシステムを導入するのだ。

「日本人のマナーは世界一」なんて夢みたいなことを言っていないので、マナーの悪いお国柄ならではの、現実的な観光公害対策を考えていくべきだ。

(ノンフィクションライター 窪田順生)