主導できない園の事情
かくして生まれる「保護者vs保護者」

 幼稚園・保育園の卒園アルバム(以下、卒アル)制作にまつわるもめ事は、どうやらたしかに「ある」ようである。
 
 主なもめ事の種は、二つある。一つが制作委員内でのいざこざだ。自分の割り当て分の仕事をちゃんとこなさない人がいると、「あの人は働かない」と不満が募って、どこかでドカンと噴出してケンカっぽくなることもあれば、「ちょっとあの人は…」という感じで、問題視されている人が孤立していく展開があり得る。
 
 もう一つが、アルバムに採用された写真に関するクレームである。このクレームの内容はほぼ固定であり、「うちの子の写真が少ない」か「うちの子の写真うつりが悪い」である。まれに、「園児の裸身が写り込んだ写真が採用され、超問題視される」といったケースも起こる。

 それぞれ、詳しく見ていきたい。
 
 そもそも、小学校以降の卒業アルバムでもめ事があったという話は耳にしたことがないのだが、なぜ幼稚園・保育園のものではもめるのか。これはまず、卒アルがほとんどの場合、園主導でなく保護者主導で作られるからである。

 ではなぜ、園が主導しないかというと、もめ事の火薬庫だからである。
 
 まず個人情報保護の観点から保護者に詰められると、園は弱い。そのリスクを押し切って「いえ、制作します」とはなかなか言いづらい。私見だが、この園の姿勢は、保護者の我が子に対する保護意欲が強く、園側がそれを理解し、またそれに共感しているからだと考えている。
 
 次に、写真の選定である。これは保護者からのクレームが付きやすいポイントであることはすでに述べたが、制作者が園だとクレームがさらに大きくなるおそれがある。保護者は有事の際、園に詰め寄るポテンシャルを秘めているから、実質保護者の方が強い(あくまで園が水準以上の運営をしている場合である。園が悪質な場合はこの限りではない)。
 
 しかし、保護者同士の関係はあくまでイーブンだから、「保護者vs園」よりももめ度が低く抑えられる公算が大きい。だったら園側としては最初からそのような虎穴に踏み入っていくようなことはせず、「卒アルは保護者の方が有志で制作してください」と、関知しない姿勢を打ち出しておく方が無難である。
 
 こうして保護者の中から有志が数人、卒アル制作委員として選出される。これによって「保護者vs園」は起こり得なくはなった。しかし、新たに「保護者vs保護者」の構図が生まれる。なお、過去に極度のもめ事を経験した園では、卒アル制作がそもそも行われない場合がある。
 
 ただ、園によっては園側が卒アルを用意してくれる場合もある。まさしく筆者の娘が秋頃の中途から通った昨年度のクラスでは、保育士さんたちが愛にあふれていて、立派な手作りのアルバムを年度末にプレゼントしてくれた。これが問題にならずむしろ好意的に受け止められたのは、10人程度の少人数だから、いい意味でなあなあにできたから、というのもあろう。ほぼサプライズでもらったアルバムなので、感謝と喜びが大きすぎて保護者らが「過失を探そう」という気にまったくならなかった、ということもあろう。