ランドセルを背負っていたことで
亡くなった子どももいる
また、子どもが危険だ、命を守れというのなら、「ランドセルを背負っていたことで命が奪われた子ども」もいるという事実についてもちゃんと触れるべきだ。
例えば、2017年には、大阪市の公園で、複合遊具で遊んでいた小学生が、首が圧迫された状態で発見され2カ月後に死亡した。ランドセルを背負ったまま遊んでいて、ランドセルと首が格子状の鉄製パイプに引っかかって宙づりになったのである。もちろん、これは氷山の一角で、子どもたちの世界では「ランドセルを背負っていたから起きた事故」が日常的に起きている。国土技術政策総合研究所の建物事故予防ナレッジベースにはこんな事故が報告されている。
ここでは、ランドセルがクッションどころか事故を深刻化させる「重り」になってしまっているのだ。
断っておくが、筆者はランドセルが危険だなどと主張をしたいわけではない。こちらで一方的に特殊なケースを取り上げて、「危ない」「心配だ」などとリスクを過度にあおることなど簡単にできてしまうということが言いたいのだ。
ゼロリスク信仰の強い日本では、このロジックは非常に有効だ。例えば、仮に日本でも諸外国のように運転免許もマイナンバーも一元化して、デジタル化しようという話が実際に動き出すと次のようなことを言い出す人たちがあらわわれる。
「偽造されたらどうする。海外ではデジタルIDでなりすましなどの問題が起きている」
「デジタルに疎い人たちが使えず、逆に詐欺などにも悪用されてしまうのでは」
こんなことをワーワー言っているうちに、「引き続き議論を重ねましょう」の一言で、イノベーションの芽がつぶされる、というのが日本のお約束だ。