渡米後いきなりトップコーチへ直談判?
「チャンスの種」の見つけ方
河田:でも、アメリカのフットボール界は競争が激しく、会社を辞めたからといって簡単に関われるのでもありません。
私はそれも承知の上でしたから、
「お金も、仕事場もいりませんので、とにかくフットボールの勉強をさせてください」と頼み込み、なんとか話をつけて2007年に渡米しました。
しかし、いざオフィスへ向かうと、人事担当に
「ここで仕事をすることは簡単なことじゃねーぜ。今日は帰れ」
と突き返されてしまったのです。
その日は泣く泣くオフィスを後にしました。
しかし、後日つないでくれた友人からこう言われたんです。
「この世界はヘッドコーチが白といえば黒も白になる。
それくらいヘッドコーチが絶対の世界だ。
だからまずはヘッドコーチを説得しよう」
そして翌日、
「ヘッドコーチがいるから、急いでオフィスにこい」
と電話があり、即座に車を飛ばしてオフィスに向かったんです。
そこで、ヘッドコーチに、昔からファンだったこと、渡米した経緯、勝利に貢献する手伝いをしたいと熱く伝えました。
それが伝わり「じゃあ、明日から来い」と言ってもらえたんですね。
星:偶然、そのヘッドコーチがオフィスにいたんですか?
河田:そうなんです。
友人が、「午前中はオフィスにいるからこい」と連絡くれました。
星:そのとき、ヘッドコーチは、河田さんが日本のフットボールの代表だったことは知らなかったんですか?
河田:そんなこと1ミリも関係ないですし、言ったこともなかったです。
星:じゃあ、本当に、直談判したときの雰囲気だけで、河田さんを拾ってくれたわけなんですね。
河田:そうです。私自身も、ボランティアでもなんでもやってやるつもりでした。
余談ですが、そのときヘッドコーチと私をつないでくれた友人の息子が、5年前くらいにスタンフォードに入学してきて、今ではNFL選手です。
しかも現在、その彼の姉と働いています。
星:面白いストーリーですね。
ボランティアから始められて、徐々に受け入れられていったということなのですね。
その中で河田さんは挫折しそうになったことはあるんですか?
河田:やはり、4年間ボランティアでしたので、最初はずっと挫折続きでした。
忘れもしないメンローパークのガソリンスタンドでガソリンを入れようとしたら、貯金がなくなっていて、カードが使えなかったんですよね。
幸いなことにごはんは食べさせてくれていましたので、なんとかやっていましたね。
星:それでも日本に帰ろうと思うことはなかったのですか?
河田:当時は独り身でしたから、日本に帰ろうとは思いませんでした。
いくら厳しい状態とはいえ、好きなことをやっていましたから。
大きなゲームに出場すると、10万人収容の大スタジアムで試合をすることもあります。
そこで、コーチングスタッフの一員として仕事ができる日本人なんて他にいないわけです。ただただ好きなことをしている興奮が支えになっていたと思いますね。
星:確かに、他の人にはできない経験というのは、大きいですよね。
やはり、河田さんが活躍されている秘訣として、スタンフォードでやりたいと強く想い、ヘッドコーチに直談判したことが大きいと思います。
でも、河田さんのように長くボランティアをやったり、ボランティアから今の立場に入ったりできる人は、なかなかいないですよね。