第一の理由は、その根底に日本に独特の謝罪文化があることだ。

 たとえば、日本で「すみません」という言葉は、謝罪以外の場面でも頻繁に使われる。心理学者の榎本博明さんの言うように、何かあったときに日本人がすぐに「すみません」という謝罪の言葉を多用するのは、場の雰囲気を和やかにし、相手がそれを壊すような態度を取りにくくして、物事をスムーズに運ぶためだ。

 謝罪会見の冒頭の「お騒がせして大変申し訳ありません」というセリフは、ネットでも「違和感を覚える」と話題になったが、実は、日本では、法的に責任があろうがなかろうが、ただちに「世間」に対して謝罪することが必須であるということだ。

「世間」が謝罪を要求するのはどうしてか?

 大きな事件や事故が起きたときに、「世間」の人々の共同感情が不安定になる。これが「世間を騒がせた」という状態だ。

 この不安定な状態を解消し、害された共同感情を元に戻すために、「世間」は企業などに「世間を騒がせて申し訳ない」という謝罪を求めるからだ。

 ところがアメリカでは、法的責任があるような場合でも、企業は会見で釈明はするが、めったに謝罪しない。うっかり謝罪すると法的責任を問われかねないからだ。

 それでも、「アイムソーリー」といって謝罪しなければならないことがあるだろう。病院で患者が亡くなったときに、医師が家族に「アイムソーリー(お気の毒です)」と言うような場合だ。

 そこで、カリフォルニア州などでは、医師が「アイムソーリー」と言っても、後に医療過誤訴訟で法的責任を問われないようにする、「アイムソーリー法」がわざわざ制定されているそうだ。

 やたらに「すみません」が使われる日本の謝罪文化は、欧米に比べるとかなり特異な文化であり、これが土下座のなくならない土壌となっているのだ。