「自己肯定感」が低い日本人
個性や自己主張を封じられる教育

 第二の理由は、日本人の「自己肯定感」の低さである。

 欧米で土下座による謝罪が考えられないのは、それが、人格の不可侵性に由来する「人間の尊厳」に反する行為とみなされるからだろう。

「人間の尊厳」は民主主義の基本原理であり、たとえば、ドイツ基本法(憲法)は第1条の冒頭で、「人間の尊厳は不可侵である」と規定している。

 日本では、この種の「自尊感情」を生み出すはずの「自己肯定感」が、海外と比較して突出して低いことが、いくつかの調査で指摘されている。

 たとえば、2017年の国立青少年教育振興機構の高校生への調査では、日本で「私は価値のある人間だと思う」と回答したのは44.9%にすぎないが、アメリカは83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%だった。

 また、若者(13歳~29歳)にたいする2018年の内閣府の調査でも、「自分自身に満足している」と「自分には長所があると感じている」に、「そう思う」と回答した割合は、それぞれ10.4%と16.3%だった。

 ところが、海外におけるこれらの質問への回答は、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンのいずれも、ほぼ30%台から50%台の間であり、日本は他国と比較して圧倒的に低い。

 そうなるのは、日本人が家庭で、欧米のように「他人とは違う個性的な人間になれ」と教育されるのではなく、「人に迷惑をかけない人間になれ」と言われて育つからだ。個性がつぶされるわけだから、これでは「自己肯定感」は育たない。

 また学校でも、ブラック校則に象徴されるように、画一的な集団行動が求められ、目立った行動を取ると「出るくいは打たれる」という格言の通り、徹底的につぶされる。

 さらに、職場でも年休を取りづらいなど、周りと同調することを強いられる。

 その結果、はっきりと自己主張するような人間は排除されるので、「自己肯定感」が低くなり、「どうせ自分なんか」と考えるようになる。

 これが、土下座のような、明らかに「自尊感情」をひどく傷つけるような行為を受け入れやすい理由となっているのだ。