社長の土下座に批判噴出でも
「一件落着」の空気漂う

 観光船の沈没事故では、「知床遊覧船」の桂田精一社長が4月27日に記者会見に臨み、冒頭で「皆さんこの度はお騒がせして大変申し訳ありませんでした」と謝罪し、約2時間半の会見中計3回土下座した。

 この社長の土下座について、ネットなどでは賛否両論があったが、「あまりに軽い」「本当に謝る気がない」「完全にパフォーマンス」「しておけばいい感しか伝わってこない」など、多くの批判が噴出した。

 だが不思議なのは、かなりの人が社長の土下座が本心からの謝罪ではないと思っているにもかかわらず、土下座をすることでなんとなく「世間」が納得し、いつしか批判が収束して「一件落着」の空気が漂ってしまうことだ。

欧米では理解不能の「dogeza」
「世間」への独特の謝罪文化

 歴史的に土下座による謝罪が目立つようになったのは1990年代後半以降で、96年に薬害HIV訴訟で「ミドリ十字」の幹部が、被害者の原告に詰め寄られ土下座したころからだとされる。

 また、2019年にタレントの田口淳之介さんが、大麻取締法違反で逮捕され保釈された直後に、報道陣に土下座して謝罪したのは記憶に新しい。

 欧米では、土下座は「dogeza」とそのまま訳されており、そもそもあり得ないし、欧米人にはまったく理解不能の行為だ。

 日本で一定の批判があるにもかかわらず、いつまでも土下座がなくならないのはなぜなのか?

 私は、これには三つの理由があると考えている。