若い人たちの不安とストレスは
大人たちへと波及していく

センゲ氏

 私たちがよく調査・研究をするカナダのブリティッシュコロンビア州は、世界でも大変優れたデータベースを持っているので、同州を例にご説明しましょう。

 同州では、子どもたち全員のウェルビーイング(※身体的、精神的、社会的に満たされた状態)調査をしており、州内の4〜5歳以上の子どもを対象にした継続的な追跡調査が20年も続いています。また、地域単位としておそらく世界でもっとも大きな活動ですが、人口約600万人の同州は学校で「ソーシャル・エモーショナル・ラーニング」(SEL)を実施しています。

 しかし、それでも子どもたちのウェルビーイングは、20年間下がり続けているのです。子どもたちに限った問題ではないのですが、若い人や子どもたちのほうが、率直で、傾向が顕著に表れていました。

 こうした若い人たちの不安とストレスは、大人たちへと波及していくでしょう。

 大人は心の内をあまり明かしません。不安やストレスがあるとは言わない。大人は「仮面」をかぶることに慣れ、鏡を見ても、その「仮面」自体が自分の顔だと思うようになってしまう。「他人にどう見られているか」を気にして言動を取り繕っているうち、いつしか、取り繕っているものが、自分そのものになっている。大人の世界というのは、自分の現実を抑圧しているのです。

 ところが、新型コロナウイルスによるパンデミックは、そのような抑圧を取り払いました。「自分は平気だ」という幻想に穴があき、穴が広がった。世界中の大人の間で、メンタルヘルスやウェルビーイングの悪化が大問題になっています。このことが、リレーショナル・フィールドやソーシャル・フィールドというテーマを前面に押し出しました。もはやこうした問題から目を逸らすことはできません。

私たちは信じられなくらい
テクノロジーに「気を取られている」

 若い人たちや大人が、不安やストレスを抱える――、その一因は、ITやICTといったテクノロジーにいたるところで「つながる」ことができるようになったことです。

 テクノロジーは、現代社会にあまりにも広く普及し、私たちは、スマートフォンのようなIT機器に気を取られてばかりいます。

 家の食卓でも、レストランへ行っても、数分もしないうちに皆、スマートフォンをいじり始める。みんなで一緒にいるのに、です。誰しも経験があるでしょう。この光景こそが、私たちがいかにスマートフォンのような「IT機器に気を取られているか」を象徴する、痛烈な比喩だと思いませんか。

 そして、「IT機器に気を取られている」こと自体が、不安を助長しているのだと、私たちは気づき始めているのです。

 外出したり、地面に座ったり、森を散歩したり、海辺に立つとき、人は安らぎを覚えます。これは世界共通で、地域の文化的特性とは無縁です。自然界とのつながりや、健全な文化においては、社会とのつながりも私たちに安らぎをもたらします。友人と一緒にいてもリラックスできます。しかし、テクノロジーがもたらすものは安らぎとは対極のものです。

 たとえば、メッセージの送受信の頻度は上昇の一途をたどっています。アメリカの10代の若者は、1日に平均で600〜700通のメッセージに返信しているといわれています。SNSなどのプラットフォームも無数にあります。

 すると、若い人たちは、友人からのメッセージにはすぐに反応しなければという強迫観念に駆られるんですね。私などは、いくらメッセージを放置してもまったく気になりませんが……。でも若い人は、友人からメッセージが届くと気が気でなくなり、結果、1日に600通のメッセージに返信している。平均すれば1時間に約25通、2分間にほぼ1通。信じられないぐらい「気を取られている」のです。

 対面なら誰かと話すとき、相手の発言に「ふーん」と答えたり、返答せずじっくりと聞いたりすることもでき、会話に自然なリズムが生まれます。それがテクノロジーを経由した途端、リズムは自然なものではなくなります。すべてが「プププププ……」という機械音です。どんな音であろうと、頻繁に繰り返されると、心拍数が上がり、落ち着かない気持ちになり、呼吸も浅くなります。これらはすべて、不安を示す生理的な現象です。